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もののふの前は 祈祷の元祖だったのかね物部 石上ふつみたま神社訪問東内

投稿日時:2014/05/02(金) 07:00

銅相場は中国が連休で お休みで変らず仮定銅価格の計算は@732円5/2 早朝5時



草薙剣(くさなぎのつるぎ) って 知っておられますか?



3種の神器  スサノオの命が八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した天十握剣は、

「名づけて、蛇の麁正(おろちのあらまさ)という。

これは今、石上宮(いそのかみのみや)に在(ま)す」(『日本書紀』)



また「今、石上神宮に在り」(『古語拾遺』)と記されている



石上神宮で布都斯魂大神と 称えて お祀りしています。

また、韴霊剣と天璽十種瑞宝は宮中でお祀りされていましたが



崇神天皇7年に物部氏の祖、伊香色雄命(いかがしこおのみこと)により

石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)、現在の石上神宮に遷し祀られました。

----とあります。



一般国民には 見ることは 無理であるのですが 

5/1は 吉備国の 石上いそのかみ布都ふつ魂みたま神社に伺って

レプリカを見せて貰い 触らせて 戴いてきたトーナイの東内誠



山の 鉈(ナタ)を 剣にしたような 刀で やや細身でしたね 80cmほどだった



振れば 多分 『物 ブツ 物ッ』と 啼く?かも 知れないね

 

反っているが 刃が 一般的な刃の向きとは逆で 山で使うナタのような 角度 でした





東内誠はこの宮がとても気になっていましたが 頑張って 山頂の本宮 奥の院までも登って

霊気は大変に 感じたように思う場所となりました

フラフラになって 山に登ったのですが そこへ辿りつくと 

不思議と疲れや 足の痛みも すーっと 全身から 全て消え失せたんだ




凄い場所だと 思う この山頂の磐から 何か 出ている とも思う



岡山藩 城主の池田 光政 次世代では綱政という殿も江戸時代に それを 感じたのでしょうね



光政という殿様は 江戸時代に学校を作った 和気と備前(その奥が美作市 その山中)

ちょっと変った殿様であった みたいです 

池田光政 という人は かなり 古書などを読みまくったのだ と私は推察しますし 

(江戸幕府に反して 仏教系の変な力の増大を押さえ 一定の神社を大事にした)



そして 廃れていた古墳のような場所に 宮を 再建し その宮司に物部氏 姓を名乗るように ご指示を なされた と思う



この周辺には 大陸からの大量の人数の 各種 職人たちも その古代に移り住んだと思われる

周辺の村には 瓦を作るもの 焼き物をする者 石の仕事をするもの 鍛冶の仕事をするもの大工 インベ焼きをするもの 連れてきたと 東内は空想



1800年なのか それとも2300年くらい 前の時代に移り住んだかも知れないよね



まあ それは 半島の先から 出航してきたと思う



大阪高槻市からは175km程やった 

宮の手前で ワシの運転する乗用車の前に 左から 大きな蛇が出てきて 

ワシを神社の手前で迎えてくれた

危うく ひいてしまうところだったが ひかずに 済んだ



山頂にたどり着く 手前の参道でも 蛇も また出て トカゲも歓迎してくれて 出てきてくれたよ

鳥たちの 鳴き声も凄い 喜んでくれたように思う



ワシの前には 鹿や 猪は出て来ない 普通の人の 何百倍も 山道を走るが ワシの前には 鹿や猪は全く出ては来た事がない

多分 ワシの殺気を感じている ところもあるかも知れない



物部氏を追ってる バタ屋トーナイ 東内誠 美作楢原 神宿郷 東内五鉾立て祠の 現在の主



http://tohnai.com/top_main.html.
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