• ホーム
  • ブログ
  • カタノの物部氏 中山神社等の社史にも出てくる東内誠 銅鉄古代史 

東内社長BLOG

カタノの物部氏 中山神社等の社史にも出てくる東内誠 銅鉄古代史 

投稿日時:2014/05/03(土) 06:39

銅相場は中国が連休中ですが 注目された米国の雇用統計が予想以上に良くて2日22時ごろには

103円とドル高、しかし、つかのまでした・・・5/3 早朝4時に 仮定銅価格の計算は@742円

103円なら 例えばワシ個人でも 予約を入れておきたいドル売りの数字なので 此処の辺りには壁が厚いと思う

ワシの保有する商品(スクラップ資源屑)も 言うたら$なので、それだけでも 常に少なくても300万はワシも持ってるョ

それと現物の$でしょ プラス投資有価証券の$なので かなり ワシの場合は 資産+負債=全体 の $へのバランスが大きいの

手元流動性を売れば それは$の手元流動性を円に替えるのでさ そうなる 

日々 千万円最低でも 仕入れるぞ と言うて 仕入ているじゃない それは 円で仕入れていますよね

円で仕入れている現物の金属は グローバルな資源相場と為替の関係で動いているので 

為替で 言えば 実は$なのよ そういうことです(また その上に、解かりにくく説明したら ユーロと$との 関係もある)

金融機関のご担当の方でさえ 為替に絡んでおられないと ワシの説明に戸惑うようなお方も 実はおられる

普段の取引では 金融マンでさえ あまり為替は意識されず仕事をされておられる方が大半ですよ 実は そうなの

なので 為替の動きには バタ屋さんでもある または、グローバルな屑商のトーナイも 常に為替は24h、意識をしています

大きく 為替が動く時間は やはり EU時間帯ですね NYと市場の時間が重なる時間も動きが出やすい

それは 当然のことです

中学2年の頃より 勉強も ほぼしていない 割には けっこう難しい事をしているでしょ バタ屋トーナイ 東内誠



グローバルに屑を動かすモノ 者 物 ブッ ブツ ブッ ブ 弓を空で 引くと ブッ って 音が出る

刀を 勢いよく 空振りすると ブッ と 音が出る 物の怪 物の気 です

その 轟音というか それを聞けば 人々は 縮み、萎み びびる そう 威圧感になるの・・・

---線が 少し 切れているようでしょ 

まあ 切れていて 普通の人とは 少し違うほうが 面白いじゃない

そうなのよ 1500年から1900年前にも どうも 半島の先のほうから 多分 鉄か銅かを もってきて

その資源を日本へと持ち込んだ先人たちが 日本国を作った のだ と 推測して 古代史も調べてみて

金属の 屑 の 歴史も 追っかけをしている のんが ワシこと 東内なの



鉄の刀だったか青銅器の 刀 だったのか は まだ ワシには 解かっていないが その金属製の武器を持ったものが

今で 言えば 最新鋭の武器を持った者なので その団体が その地区を支配したんやね

まあ しかし 武力は一番 重要だが それ以外にも 大衆を付き従わせるには 神憑りも それはかなり重要なことで

神憑りの儀式などを しなければ 人々は 付き従わないんやね

なので 神憑りの やり方 って のも これは 貴重な価値のものなのや



今 ワシは どないしても ワシら日本人は何処からやってきたのか どうしても 自分たちの出自を知りたくて

お宮を 調べまくってるんやね

ちょっと 最近 辺な奴が 余計に変な奴に なっているが いたって精神は落ち着いていて 

まともで 最近は 切れ味も 多少 以前より出ていると思っている



古代史研究で 『中山神社』 『石上布津魂神社』 『美作の東内という者』 『有木氏』が 出てくる 

古代史研究の学者の原稿を一部以下に借用 『』


美作中山神社とオオナムヂ・物部氏19
トシ、鏡作命ハ慶雲四年神勅ヲ奉シテ祀ル所トス」としている(12。
また、『中山神社縁由』は、先の鏡作命が「始て天くたり給ふ」たときのこととして、上文に続けて次のよ
うな話を伝えている。
『白き御馬にのり青木の枝の鞭をもて行めくり給ひ、しつまりおはしまさん所をもとめさせ給ふ、

先五月のはしめに、

英多郡楢原といふ所にあらはれさせ給ふ、

此里に東内といふ民なんありける、もとより


心のすなほなる事なへてならぬものにてそありける、

それかもとに廿日あまりかりにしつまりおはします

(13
こののち又苫東郡水無瀬川の奥に、泉水池といへるちいさき池のあるに、そこにあらはれさせ給ふ、
そのあたりにちこのよさかといふ所もあり、これは御神ちこの姿にあらはれさせ給ひて、あけまきとも
のおほくあつまりゐたるに、立ましりてあそひ給ふ(14
同年九月廿一日になん、又同郡田邊といふ所にあらはれさせ給ひて霧山にいらせ給ふ、此所にかりす
るおのこ有木といふものなんありける、御神を見奉りてかふる深山にかくやんことなき人やはあるへき、
変化の物なるへしとうたかう、御神告ての給はく、われは此国を鎮護し給はんとおほしめす神なり、…
よりて有木か子孫うけつきて此わさ世々にたゆる事なし(15
同慶雲四丁未年四月三日寅の刻はかりになん、』



----長いので 途中を飛ばして『』 次には 石上布都魂神社も 出てくる し カタノ物部氏も 出てくる---



『赤坂町の新庄川上流に「石上布都魂神社」がある。
「布都魂フツノミタマ」とはこの素斐鳴尊が大蛇を切った剣のこと。現在奈良県天理市にある石上神宮について、『日
本書紀』巻六の垂仁87年条には、このときから物部連が石上神宮を管理することになったと記し、現在で
は、布都御魂・布都斯御魂フツシノミタマ(=素菱鳴尊)・布留御魂フルノミタマ(=饒速日命)・宇摩志麻治命(=饒速日
の子)を祭っている。イサハヤヒやウマシマジは物部の祖である。そして、『石上神宮I日記』によれば、
素斐鳴尊の蛇を斬りたまひし十握剣、名を天羽々斬アマノハハキリと日す。亦、蛇之麓正ヲロチノアラマサと日す。其の
神気を称へて布津斯魂神フツシミタマノカミと日す。天羽々斬は神代の昔より難波高津宮の御宇の五十六年に至る
まで、吉備神部の許に在り今の備前国石上の地、是なり。五十六年孟冬已巳朔己酉、物部首市川臣布留
連の祖、勅を奉じて、布都斯魂神社を石上振神宮高庭の地に遷し加ふ゜
という。『新撰姓氏録』もほぼ同じように載せている。ここでは、布都魂を神武天皇が大和を平定する際に下
されたタケミカヅチの剣とし、スサノオの剣を布都斯魂としているが、吉備にスサノオの剣があったとする
点で、書紀の一書の記事に対応している。ご神体の剣がなくなった後の、現在の吉備の石上布都魂神社の祭
神は素菱鳴尊となっている。石上布都魂神社がなぜ、そしていつ吉備に置かれたのかについて、相見英咲氏
は、東の鎮めの熱田神宮・草薙剣に対して西の鎮めとされた、とされる(32゜明和8(1771)年の土肥経平『備
前国石上斬蛇事跡考』(33や「岡山県通史』では、そもそも素斐鳴尊が大蛇退治をした簸川は吉備の旭川の
ことだとするが(34、ここでにわかに断じることはできない。ただ本論にとって重要であるのは、石上布都魂
神社は物部が奉祭していたであろうことである。書紀の一書に書かれているから、それに合わせるために神
社を造ったとは考えられないから、いつのころかに建てられた吉備の石上布都魂神社には、ある時期まで布
都魂ないし布都斯魂を物部氏が奉じて祭っていたと考えてよいのではないだろうか。



『石上神宮|日記」によれば、それは仁徳期であるという。一方『日本書紀』第14の雄略6年8月条に、吉備下道臣前津屋を天皇が
物部の兵士30人を遣わして同族70人ともども訣殺した、

という事件を載せるが、これは大和から出兵した
というよりは、吉備で石上布都魂神社を奉じていた物部が行ったと見ることはできないだろうか。

石上布都魂神社は正にそのような働きを持たせられていた神社であったのではないだろうか。

相見氏のいう西の鎮めである。そうであるならば、おおよそ5世紀末ごろには、物部は吉備地方にいたということになる。』

------以上 歴史学者の論文を昨日 見つけた


ワシのような 素人が 調べたこととも かなり 一致してきている

此処で 交野市の 物部連 が 出てくるぞ

大阪府交野市 って ワシの本社からも 20kmと近くて この前 先日、

 磐船神社の大きな磐の中に入らせて貰って神主さんからも話を聞いた場所やな

ここも 蛇がおった 磐を祀っているし 住吉大社とも繋がっていること 

長すね彦も 平成の時代になってからか 昭和の戦後の やや発言の自由な時代から かは 長すね彦も 祀っておられる

長すね彦を 祀らねば 実に義理が悪い とも 感じます



2-3世紀の 古墳が 大阪府交野市周辺でも 多数 発掘されていると思います 詳しくは 交野市の歴史 古墳で

たくさん その年代が 出てくると思う(このあたりの古墳の勉強も始めれば あまりにも時間が多くとられすぎる)



とにかく 吉備国の 有木氏は 1300年前以前は 武闘派集団だったのでは ないだろうか?

そうすると 東の方面を任された ワシの先祖は 神憑り系を 1300年前 以前から やっていたかも 知れないと空想中



物部氏が西暦587年ころに 敗れた・・・

仏教 と 古神道の対立 その後に 蘇我氏が 勢いを出した・・・んだよね

その後に 蘇我氏も滅びる ---時代の流れでした



まあ しかし 日本全土に広がっていった物部氏の身内が 全部 殺されて消滅したわけではない

脈々と 血が 日本人の中で 流れていますぞ それは絶対に間違いない東内誠はそう思う



なんかな ご先祖が ワシに そんな日記も書いてみたら お前の修行にも ワシらの宣伝にも なると 体内から言ってきてる



http://tohnai.com/top_main.html
この記事は外部ブログを参照しています。すべて見るには下のリンクをクリックしてください。

記事タイトル:カタノの物部氏 中山神社等の社史にも出てくる東内誠 銅鉄古代史 

(ブログタイトル:鉄 銅スクラップ買取大阪USJ前と高槻市 中国向け積み輸出/廃棄物処分のトーナイ循環型社会推進 環境問題 政治経済)

<< 2024年11月  >>

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

アーカイブ

ブログ最新記事