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やまととと ひももそ姫箸墓古墳 三輪 大神 吉備津彦の姉 トーナイ吉備 糸魚川ヒスイ六千年

投稿日時:2014/12/29(月) 04:56

宝石の話しと箸墓 古代史勉強中の大阪港の中国向け金属屑貿易商トーナイ 出自はミマサカの国、楢原上神宿郷のトウナイ

僕の本籍の住所地に その昔 神が示現したという場所で生まれた なので それもあって古代史を調べている

その神様は馬に乗って現れて 僕の家に20日間逗留されたとある この場所がチュザンの元祖だと僕は信じている

馬に乗って示現した神様は五月ウマ(午)刻に現れた というので 五に何か 関係する みたいだ

そして金属の矛を この村のトウナイの5軒の家に祀らせて 此処を5軒のトウナイは動く事はならぬ と言い残している

それと矛立て石というのも 僕の家に関係する

それも あって 鉄 銅 石 には興味が深い

そして その祠を長い年月守ってきている最中なのだが 最低でも300年 長ければ1300年以上だから かなり長期間である

どうも大吉備津日子(おおきびつひこのみこと)祀っているが それが 正しいとすれば 

多分1760年ほども 前から ということになる

吉備津彦という時代の人ということならば この吉備津彦の命は 【卑弥呼】の弟とも言えなくもない

歴史に興味の無い人でも 卑弥呼(ひみこ)は知ってるでしょう邪馬台国の女王 卑弥呼だよ 

箸墓*はしはか*古墳に 眠られておられる方は やまとととそももそひめ ちがった

やまととと ひももそ ひめ のみこ って可能性が高く

この やまととと ひももそ姫は 大神(おおみわ)神社の横の 古墳に眠っておられる と聞いて2014年12月28日は

大神神社にも立ち寄ってきたんだが そこの地に着いたら 

まずは 先に その 箸墓はしはか古墳を一周したいと 探し 周囲を一周歩いてきた

宮内庁の看板が出ていて 古墳の中には立ち入れないが 池の周りを歩けるようにはなっている 一周1.5kmあったかな~

なんか 専門家によれば この古墳は5段の構造になっていて ピラミッドを造るような作り方をしてるんかな~

まあ それは宮内庁の人でなければ 知ることは出来ない 

しかし この管理体制ならば 夜遅くに 入り込むとしたら現実的には入れる と思うが 

それは犯罪者になってしまうから 出来ない

道を尋ねて直近くの職人さんのお家かな 訪ねたら その山のことだと思う って 良くご存知ないんだよ

ここは 日本史 でも 超有名な 古代の 卑弥呼のお墓ともされている また大きさも日本最大級の古墳だってことが

知らない人は 地元の人でも 知らないみたいだ 此処の村の 苗字の表札も 当然 僕のことだから見て廻った

後の時代に入ってきた人達かも 知れないし 1750年前からその地に住んできた村の子孫かも知れない 

また 昨日は その古墳を一周する間に 変わったひととも お会いしたな~ このお年よりは たぶん 一時期は

昭和のバブルの時代 100億円は財産を残されたと思う 話を1時間ほども 奈良県の山奥でしてた

初めて会った人と1時間も 話し込むのも お互いに 少し変わり者から だろう

ミナミの金融で 一時代 ご活躍をなされた御方のようだった 

現在でも 各種の仕事されているみたいで 

老人ホームも800人年寄りを面倒みとる って言うてられたので 老人ホーム 8箇所前後は持ってる計算かな 

あんまり書くと 絞り込みで大阪の長老たちには あの人や と解ってしまうので この辺にしとこう

そのお方がオーナーで その古墳の池のところで 糸魚川産のヒスイの店をしてられる

ヒスイの話も かなり詳しく 古代史と共に 教えて貰った

ヒスイには 相場はないが kg5万円とも 言われる それは 糸魚川のモノに限るとは思う

光を当てれば 光り輝くんかな~ よくは 存じないが この先 少し調べていこうと思うし

一回 糸魚川に行ってこんと ヒスイのことは うまく書けないが 

まあ ワシも まったく 知らなくもない

半年も前に 世界の国宝級の物を ワシは 実は手の平のうえに 乗せて触らせて戴いているんや(これは あまり書いたらアカンのやけれど)

その携帯に入れている写真を その長老にも お見せしたら 

これはミャンマー産のものじゃ と言うておられた

ほんでもな ワシが手にとったモノは 2300年前の加工品と そして3千年前の台湾の博物館にあるクラスのモノやから

まあ そんな 話を 山の中で してた 面白かった

この国宝級のヒスイならば 2300年前と確定できれば 価値は1億円じゃあ きかないと思う

糸魚川のヒスイは 7000年 6000年も前か 5000年だったか それくらい 前に 日本人が見つけたんだ

縄文人 というんかな その石は ダイヤモンドよりも 言い方によれば 硬いと思う

矢じり とか 玉にしたんだろう

5000年以上(7000年だと書いてあるヒスイの専門家の方も居る)も前の 

日本人は 丸木船か カヌーのような船を使って 三内丸山遺跡 の村のほうまでも 商売に行った

糸魚川から 青森県までというたら 何百kmも 移動して商売をしたんだよ 

その証拠は 三内丸山遺跡のゴミの後 の地層だったからも ヒスイが確か でておりますから

しかし 三内丸山遺跡の事を ワシ恥ずかしくて 書きにくいよ 

行った事もないのでな・・・

でも これはネットでも調べているし 三内丸山はネットでも十分見れる 

とにかく 全部 見て廻ると時間が困難になる

この ヒスイの話題は この先 このブログで 取り上げていって もっと詳しく書きたい

ヒスイは財産にもなるし 身を守ってくれる石と 古くから信じられているんだ

卑弥呼と やまととと ひももそ姫 の事も書きたかったんだが これじゃあ 長くなりすぎる・・・

【卑弥呼=やまととと ひももそ姫→吉備津彦の姉】 これは 絶対的確定ではない に しろ この説の可能性は高いし 支持者が多い



そうなってくると・・・ ワシの岡山県みまさかに 祀ってある 大吉備津日子命の 実在した という説は高まる

だって ヤマトトトヒモモソ姫の弟君を ワシ一族は1300年以上も祀っていて管理してるわけだから

その神の 命令で この文章も 書いているわけだし たまにワシ、自分の実力以上の事を口走る時があるんじゃな ワシ



岡山県が出自やら 岡山に古くから 住んでいる人は覚えて欲しいんだ卑弥呼=やまととと ひももそ姫→吉備津彦の姉

吉備津彦さんは 岡山の吉備国の 神様や それは 岡山県歴史を調べたら歴然だから

そんで 次に やまととと ひももそ姫→吉備津彦の姉 は 確定だから

それが 違うという人は居ないと思う

欠史9代までの 天皇は実在が 頼りないだと そんなワケないじゃない

あんな 今から 最低でも4500年前には縄文人が ちゃーんと生活をした跡があるんだよ

そんな なかで 人間はリーダー 無しで 組織が継続するワケがないじゃない



そんで ヘタしたら--大和よりも以前には 瀬戸内の吉備国が かなりの実力を持った国だったのは 間違いないんだ

奈良県よりも 先に 吉備が 繁盛したかも 知れないワケだ

岡山県の那岐山系には 一万年以上も前から 人が暮らしていた跡があり

瀬戸内の 鷲羽山のあたりかな~ その辺からも 出てる出てる 奈良県よりも いにしえ から 人が住んだのは岡山周辺や

また 伊豆の富士山の周辺から 山の中にも 縄文の人達が多く住んだと思うの東内誠は そないに空想中なんじゃ



山口県 田布施(たぶせ)にも 古くから優秀な人が住んだ事も間違いない これは 伊藤博文や 岸総理 佐藤栄作もそうだったか 

今の 安倍総理も 出自は この田布施なんだ(←現代の頭に少しだけ 戻ってる)



このブログでは 九州には すまないが 九州を書くと 余計に僕の頭が混乱するので 九州はとにかく 横に置いている・・・

四国もあまり 書くと混乱する 四国の愛媛に 邪馬台国があったって言う人もおられるし とても その説にも混乱する

しかし まんざらでも ないとも思う 愛媛から海を渡ればすぐに 畿内やし 四国の小豆島は 昔は吉備 備前だったんだ

そのへんには 忌部 いんべ焼き って 瓦の呼び名もあるし なんかある・・

奈良県に もともと 出雲があったって言う人の文章も読んでみたことがある 

とにかく 確定したいのは やまととと ひももそ姫→吉備津彦の姉 は 確定



大三輪 大神神社は 年末なので お正月の準備で 気合が入っていたようにお見受けした

けっこうに凄い人が参拝している

山全体が そうか 神さんか なんか ワシの里の ミマサカの滝宮を大きくしたかんじやな

岡山で山が神秘的なのは どやろ 蒜山高原やな~ その地全体が 神様の住まわれる山に見えるぞ~

まあ しかし 大神神社 エエ感じや~ 箸墓古墳は ロマンやね~

そんで ももそ姫は 大神に嫁に入ったんだ ほんで伊勢神宮に繋がってくるんだよね もう この辺ではワケが解らない



ほんで 大麻草が入った 札を 大神と伊勢が 名を連ねて発行してるじゃない なんなん?勉強が足らないわ????

とにかく 藤原不比等さま が 書かせた書物が 解りつらく書いてあるからみたいだよ

東内祭主藤内藤原正照 大藤内 とうない だから ワシの先祖神懸かり系やし 解りつらい文章を書くんじゃ



中臣鎌足 その後 藤原の鎌足は 三島の丘に眠っておられる 高槻市のアブ山の山頂や

その息子が 藤原不比等じゃった 西暦では600~700年ごろか

26代 継体天皇の御陵より その上の山の上に眠っておられたのが 鎌足さんだから・・・

紀元前5000年辺りから 西暦700年の辺を彷徨っているのが 藤内の脳の中

1760年前の時代に タイムスリップできれば 見れるんじゃな~

日本の歴史の重要な部分が 見えるんだ

http://tohnai.com/top_main.html(トーナイの本業のHPリンク)



12月29日か もう年末か はやいわ 今日も 大阪で 畿内一円 金パラ朱 銀銅鉄の含有した金属買います

現金で高価に買取 日本一サービス良く 金属を買い取りのトーナイに ご一報下さい072-678—1112

僕の先祖は いにしえから 金属を求めて山を彷徨っている系統の ワケの犬 此処掘れワンワン正直な犬 でもあるし

猿とも仲がよいし 白いヘビとも仲がよい 猪とも、仲がよく 牛や馬にも ご縁が多い 龍にも ご縁があり

とにかく いにしえから 石を集める 探す ワケの犬 ?トーナイ トオウナイ 大阪中心に半径1000km俳諧中

鏡作尊=中山太神宮=東内誠はその末裔の関係者、鏡は 銅や。 

刀は鉄=布都魂 石上(岡山赤磐 物部氏)、玉は大神かな? 

布は 四国の忌部だ 三木元総理も出している家 あらたえ



多分 岡山県の歴史に詳しい人も 多分 このブログ 見かけるはずや 

学問の低い とうない が ボケた事を書いてると お笑いでしょうが

学問はないが わしには 勘が強い と いうことと 

直に現地に調べに行ける行動力はあるほうなので キチガイ扱いは しないで欲しい

ワシはね かぼと遺跡の 中に入りたい と申し出れば 願いは多分 すぐに叶うと思う

それは 日ごろの商売での 各種 コネがあるからや

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