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東内社長BLOG

捕らわれの身になれば自決できれば したいがなかなか自分では死ねない銅の屑商トーナイ

投稿日時:2015/01/26(月) 05:35

日本人人質1人を殺害 という報道は 中国の人々も知っているようだ ネットでは この組織に中国人も組織に入っている人もいるようなことを書いてあるものも見かける この事件をみて 安倍 日本国総理が海外に軍を派遣可能にするだろうと 推察するような心配も中国の人のなかには あるようだ

首を切られ 胴の上に乗せられた死体の写真を検索して見てみたが、気持ちのよいものではない

囚われて 指2本をPPバンドで縛られたら もう覚悟するしかない できれば さっさ とヤッテ欲しいが サッサとは殺してくれない

自由を奪われて 目の玉を スプーンでえぐったろうかい

とか 指の爪を一枚ずつ 剥がしたろうかい とか 刃先を突きつけられ 脅されれば それは恐怖感で一杯になり 大小 垂れ流すような状況になるのが人間なので 自由を奪われて縛られれば それは正常な状態で おれるワケはない

舌を噛み切って 自決できれば よいが なかなか 出来ないのが人間である

その昔、拷問は日本でもあって

なかなか簡単に殺さないんだ 死ぬ寸前まで なぶり

苦しめて 



その罪人(または敗戦者側で生きながら捕らわれた者)を回復させる施術を施し また 回復したらなぶる 



そういった刑を行う 者は 人体の事を 知り尽くして それが医学に詳しくなったりも したと僕は日本の歴史を勉強してみて そう考えている

拷問や処刑執行をする仕事 これは 穢れるとされ 

忌み嫌われた



なので 敵の陣地に うかつに 入ってしまうことは 決してしてはならないこと

僕は20前後の時に 敵の陣地に手ぶらで乗り込んで そういった局面があって 手薄な人数で エエかっこうをしては ならないことを つくづく思い知った苦い経験がある

世の中には いろんなヤバイ奴もおるから・・・

海外に 出かけても ヤバイ場所に行けば そんな事はあってあたり前で 金を取られるくらいなら まあ エエとせんとアカンで ほんまや・・・

外務省が 行ったら危険というようなところには 行かないほうがよい

日本国内でも ヤバイ奴もようけおるので ヤバイ人にはなるべく近づかないほうが 平和には暮らせるよ 



恐いものなし って思っている人は 一度 手足を縛られて暗いところに 数時間 自由と 灯りを奪われて 小便垂れ流しの身分に陥ってみたら 解かると思います



飯が食えない人が 集った場所は 危険な場所になる

食えないと 人のモノを盗んでも 生残らねばならないから そんで ヤバイ組織に入ってしまうと 組織の上が行けといえば 行くしか 生きのこる道はないからね



行かねば 嫁や子供や親戚一同にも危害が加わるとなれば 行くしかない

その昔 日本も 恐怖を植えつけて 人々に恐れを植えつけて 平和を維持してきたようなところはある



なので 人間社会は 僕はジャングルの中で暮らしているようなものじゃ と思っている

商売も似たようなところが ある 勝つか負けるかじゃし



とにかく 常に警戒心を持っていなければ 生残れないようになっている



特に 平和ボケした ゆとり教育を受けた人などは 気をつけたほうがよい



23歳頃から 大阪に流れてきて 大阪の屑スクラップ業界で過ごして 生かさせて戴いて 30数歳からは 海外向けの 廃棄のモノを 有価で売って暮らさせて戴いているバタ屋 屑商 トーナイ トウナイ 東内誠

吉備国 備前 美作の出自のモノで

五矛立 祠を 1300年?維持管理する家の長兄



その、昔 殿が あの首を獲って来いと 御命令があれば 矛殿から 矛を持って走った先祖だと 思ってる

行け と 命令を受ければ いくしかない・・・

なので 長年 生残っている



出雲に行った 藤内も おるそうじゃ

その藤内は 大きな猿と戦ったとある

藤内とは 藤原氏の 内舎人をいう



http://www.tohnai.com/top_main.html
上記リンクは 僕の本職のスクラップ屋経営のHP 東内誠日々更新中



古代史偏 東内誠 勉強中 

キビの国 鉄 古墳 水銀 金

?弥生時代に瀬戸内沿いに 交易を目的に中国から人が渡ってきて住みつき 稗ヒエや栗 黍キビを食料にし 中国人は塩も造った

?西暦300年代 瀬戸内の備前などでは

伽耶が北方騎馬民の南下で不穏になり、

更に韓半島『大陸』からの移住がつづいた。

この頃の製鉄は溶解温度の低い、

沼鉄(褐鉄鉱)で

禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから製鉄した

鉄を求めた集団は 旭川 吉井川の周辺に移住し、その古墳は前方後方墳

(此の書いた人は新羅系だと書いている)。

?西暦400年頃より 百済系伽耶人も移住してきて

此の人達は 沼鉄では なく沼鉄より高温で鉄鉱石を使って 製鉄をし

鉱石からの 製鉄を始めた その勢力を

東は 加古川周辺まで キビの勢力を広げた



?西暦700年以降 吉備は鉄を納めることになったが だんだんと鉄鉱石が枯渇し その後 

砂鉄から 鉄を造るようになった 



鉄以外も 水銀の産地でもあり 金も採れた



『まがね吹く吉備の中山 帯にせる細谷川の音のさやけさ』 
まがね吹くは 吉備の枕言葉



この歴史が正しいとしたら

岡山県アイダ楢原の神宿のトウナイの里山には 多分 

【沼鉄(褐鉄鉱)で

禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから

製鉄した】

---という 時代だと思う
その根についた 鉄分を低温度で 製鉄をして

馬に乗って示現した 神様に納めたのじゃないかな~ あくまで空想に過ぎないが

たくさんの歴史研究の方々の 書かれたものを 結び合わせていくと どうも そうなるか・・・

なので 最近 僕は 別けの犬じゃ~ って言うのもまんざらでもない



確定は出来ないが・・・

秦氏系の中国人 その中にはユダヤの血も混ざって 中国では 秦の始皇帝の 万里の長城8000kもの 土木工事にも使役されて その時代に どうも騎馬民族とも混ざって 渡来したかも 知れない












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