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東内社長BLOG

美作にユダヤ人が住んだ平福の遺跡、蘇我も立ち寄った何故かそれは鉄銅の産地

投稿日時:2015/01/28(水) 06:40

中国の銅の国内消費量は 地金消費量は733万?銅線その他向けに46%、

銅板22%、銅管15%、銅棒15%、

その比率で消費され最終用途として



・58%が電力向け

・16%が家電等の軽工業

・13%が建設向け

・7%が自動車を含む機械製造向け

・6%が半導体等の電子情報向け



電力向けが6割と国内の送配電インフラ需要が大きい

・・・・こんな資料を見た(数年前の資料だ)

1990年から 以降25年ほどで 凄い伸びている

中国の銅製錬は スクラップを消費する%が大変高い率になっている

だから 中国いたるところに 銅のスクラップ業者が多くて 日本にまで その原料を仕入れにきているんだ



銅の消費が大きく落ち込んだということでは ないと思うのだがね~



中国の電気消費量が増加して 電線を使う工事が

どんどん増えてくれなければ 困るよね



中国には 国家備蓄局という役所があって

製錬メーカーを保護してきた歴史があるので

なんとか その政策をやってくれないか とも期待したい



50年先には 銅は確実に枯渇する地下資源なので 中国の将来の為に 銅の資産にも 資産のポートフォリオをバランスするということも 悪い事ではない と 僕は素人ながらも そのように考えるが どう だろうね



銅の消費 って 数千年の世界の歴史があるんだけれどね 此処最近の消費量は莫大なので 何れは枯渇するのは 間違いない

なので その残存年数を 先延ばしする為にもリサイクルからの 銅の産出は必要なことなのだ



僕は出自の 岡山県の古代史も 勉強している最中だが 岡山 吉備 吉井川周辺 旭川周辺も

昔から 鉄鉱石や銅 金 水銀なども 産出したが

1500-2300年前にも 中国人や朝鮮からの人や

ユダヤの商人なども 瀬戸内の海や 日本海側からも 金属を狙って人々が集ってきて

まあ 瀬戸内のあたりは 地球でも最高の住みやすい場所だから ということも あるが そないして 世界中から鉱山師が集ってきて 山を掘りまくって

吉備(キビ)の国は すごく栄えたんだ

しかし 堀まくった為に 鉄鉱石は産出が不可能になった 鉄鉱石が無くなったんだよ・・・

そして その後は 砂鉄から 鉄を造ったんだ

此の鉄の 歴史は たぶん間違いないと思う1500年ほども 前の話やけれどね

日本刀なども たぶん キビが 有名だと思う

熱処理技術も 当然 高くなるので 瀬戸物なども

備前焼などは 有名でしょ

備前焼が 日本全国に広がって 各地の焼物があるんだ と 岡山出身の東内誠はそない考えているが それは まんざらでも ないという事がキビの歴史を調べていけば 解かるんだ



刀系で わかり易く説明すると つい最近の総理大臣で 管直人さん が おるやない

国民には かなり批判を受けた 元総理だが

そこの 美作菅家も 今でも日本刀の関係者だと思う 刀鍛冶やな

菅さんの 母親は たしか岡山県 美作 菅家の出自だと思う

あの総理 一時 四国のお遍路さんも 廻っていたじゃない あれは 真言宗(空海)でもあるな 多分・・



話しがそれて いってるので 戻さなきゃ

鉄鉱石でもそうだが 銅の鉱山も同じや

堀続けて 地下資源が 無限に出てくる ということはない



それを 吉備国の 歴史でも そうだった と言いたいのんや 大阪港の グローバルな屑商トーナイは そういいたいの



なので 
中国政府が 銅の買い上げを行ない 銅で確実な資産を残されれば それは 嬉しい



今 電気銅が68万円くらいや 10トンでは680万円

1万トンで68億円

100万トンでも 6800億円なので 中国の 有り余った資金からしたら 目くそほどのことじゃ



100万トンほども 市場から 引揚げて欲しいよ



それか 鉱山労働者が世界中で 労働争議を起す

これも エエな~

過酷な 鉱山の労働は 命もかかっている仕事なのでな 世界中の鉱山労働者が ストライキを起すんじゃ



ほんで 露天掘りをしている場所の 近くの住民が 健康被害を訴えまくって 露天掘りを中断させる 運動を起してくれても 由としたい

この運動は 旧キビの国でもあったみたいだ

鉱山は 水を汚しますから 
なので 製錬する季節は 田んぼに水が入らない時期に決まっていたという 未確認情報も キビ国邪馬台国説かなんか で 僕は読んだ記憶がある



そんで タタラをするには 木炭の燃料が大量に必要になるので 山に木の燃料が大量になければ ならないんじゃ 



金属を溶かすには 温度を高める技術も 当然 必要だから そうなるのじゃ



良い鉄を造るには その昔は 人を炉に放り込んだりもしたかも 知れないんじゃ

これも ほんまじゃ



気の荒い 筋肉質の人間たちが 金属の精錬をするから 恐い連中でもあるんじゃ



美作の ワシの家から南へ1.5kmの吉野川だったっけ その川の坂を50mほど 昇ったところから

出土した 女性と 太い尻緒の羊のとうかん をみて なんや これは 美作に ユダヤ人が住み着いていた って ネットで書いている人達がおるな~

これって 本にもなってるんか・・・



美作 平福の谷口の家の分家の 裏の畑の中じゃ・・

安東の古いお墓のある場所やんけ

そうなんや この石棺 ちゅうんか? これは国立博物館に収蔵されてしまって 今は みまさか には ないのじゃけれど

これを 見て 美作に ユダヤ人が住んでいたというか そうか



ほんなら ワシも ユダヤに関係するのかも 知れないぞ



ワシの中山太神宮と その 羊の石棺の出土場所と 15km先の 天石門ワケ神社(滝宮)が なんぞ

一直線のラインになってるのんは なんじゃ これって・・・



この天石門別 は ワシは此処を2千年以上も動いた事がないと 社史に書かれているんじゃ

ほんま キビの国が 邪馬台国だったんかも 知れないと思うわ 東内誠



天石門わけ って 【あまのいわと わけ 開けか?】 とも読めるんじゃ 天の岩戸 の 前で 神々が なんか あったみたいじゃし



まあ とにかく キビの美作は 1万2千年も前から 人々が 大自然の恵みを貰って住んだ場所じゃ

そこには 鉄鉱石も採れて 銅や水銀 金銀も採れた

播州(兵庫県)の 佐用の周辺も 金属が採れたが そこは

昔は みまさか と同じ 村 というか 国の一部じゃから


播磨風土記 ってのが あって それにも なにやら 出ているみたいじゃ



とにかく 古代史の中にも 地下資源は掘り続けると 無くなる ということは そうなっているんじゃ



鉄 石 清い心 金銀銅鉄水銀 別けの犬 トーナイ 東内誠 平福の石棺が ユダヤと言うならば

ワシも ユダヤの血の一滴が入ってる

下山 黒田 安東 あべ 赤松系などが 婚姻を繰り返してきたと思う みまさか 僕の周辺

藤原系も 岡山に多い と思う

秦も多く入った形跡がある

もちろん 蘇我氏も 大親分が 美作の地に 見にきた形跡がある



西となりの勝央町には 南朝の 天皇の子孫も住んでおられるし これも ほんまや・・



吉備国の歴史を アホウなりにも 調べていくと凄いんじゃ ほんまに 凄いんじゃ



なんでか それは 金属が地下にあったからじゃ

と 段々 それは 解かりかけてきているバタ屋

銅相場の追っかけ

東内誠(一時は 藤内の時代もあり)



銅が5500$ なんて 有り得ない・・・

有り得ないことが 何故 起こっているのか?

それは ヘッジファンドが 売り浴びせているからだ



こいつら 天罰をくだしちゃりたいで ほんまに・・







http://www.tohnai.com/top_main.html

上記リンクは 僕の本職のスクラップ屋経営のHP 東内誠日々更新中



古代史偏 東内誠 勉強中 

キビの国 鉄 古墳 水銀 金

?弥生時代に瀬戸内沿いに 交易を目的に中国から人が渡ってきて住みつき 稗ヒエや栗 黍キビを食料にし 中国人は塩も造った




西暦300年代 瀬戸内の備前などでは

1.伽耶が北方騎馬民の南下で不穏になり、

更に韓半島『大陸』からの移住がつづいた。

この頃の製鉄は溶解温度の低い、

沼鉄(褐鉄鉱)で

禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから製鉄した

鉄を求めた集団は 旭川 吉井川の周辺に移住し



(此の書いた人は新羅系だと書いている)。




2.西暦400年頃より 百済系伽耶人も移住してきて

此の人達は 沼鉄では なく沼鉄より高温で鉄鉱石を使って 製鉄をし

鉱石からの 製鉄を始めた その勢力を

東は 加古川周辺まで キビの勢力を広げた




3.西暦700年以降 吉備は鉄を納めることになったが だんだんと鉄鉱石が枯渇し その後 

砂鉄から 鉄を造るようになった 



鉄以外も 水銀の産地でもあり 金も採れた



『まがね吹く吉備の中山 帯にせる細谷川の音のさやけさ』 

まがね吹くは 吉備の枕言葉



この歴史が正しいとしたら

岡山県アイダ楢原の神宿のトウナイの里山には 多分 

【沼鉄(褐鉄鉱)で

禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから

製鉄した】

---という 時代だと思う

その根についた 鉄分を低温度で 製鉄をして

馬に乗って示現した 神様に納めたのじゃないかな~ あくまで空想に過ぎないが
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