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東内社長BLOG

輸出入統計と中盤からは此花咲くの大阪港から山背川(淀川)の古代史東内誠中国向け

投稿日時:2015/03/09(月) 06:31

中国の輸出入統計 昨年と春節の長期休暇がなかり違うので1.2月合計の数字を見たほうがよいみたいで

2月だけをみると 輸出は前年同月比50%近く伸びている 




その1.2月あわせた数字でも輸出は15%伸びですか ASEANアジア向けは38%と大きな伸びを示してる

EU向けも12%UPか EUに向けた輸出も回復するようなムードです

EU経済が徐々に元に戻りつつある



輸入額は2割減少し 原油や資源価格の輸入単価が下がっているので 減っているのもあるだろう



そして 単月2月貿易黒字が606億$

7200~7300億円も黒字が出ている

スクラップ貿易商のトーナイとしては 

中国の輸入金額が増加してくれるのが嬉しいが、中国の輸入は減り気味だね



鉄鋼の輸出なども 安い価格で輸出するから 世界的に鉄鋼製品にデフレ圧力をかけている ということになる



輸出入による 特殊な関税があって その時々で柔軟に変えたりしている傾向がある

海外の鉄鋼業界からは 批判が出ているが

国力が 強いので これは押し切れる

国力が強いのは 軍事力の裏づけも伴う だから中華は強い



中国の輸出の好調は アメリカへの輸出でも出ている アメリカが好景気だから 中国からの輸出は増加している



そんで 儲けたお金は 何処に向っていくかと言うと それは 日本の不動産へも その資金が向う

一番人気は 商業用不動産やろうね 

産業用不動産 といって 倉庫などの物件にも 投資は向う と思う 港湾などの物流施設も ワシの住む大阪港の岸壁の倉庫なども 目をつけて 周りが上昇してくれることを期待したいね



日本の地価が上昇したら 固定資産税は高くなって それでは 損するが 担保価値ということでは 上がってくれたほうが 僕ところとしては 嬉しい

まあ しかし この2年ほどは 此花咲くの いにしえ からの 大阪港 新しい倉庫の新築は増えてきているように 感じる 僕がこのはな咲く 此花のUSJ前に移住してきてからも どんどん 新しい倉庫や物流センターは増えてきてるよ



輸入物資が大阪港に荷揚げされて そして保税倉庫などに入って そこから また 市街地の倉庫などに再物流されていく



ネットショップなどの発送元なども大都市の 港が有利だと思うな



今なら まだまだ安いので 日本の産業用不動産投資は 中国のお金持ちも目をつけて欲しいところ



大阪港 USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)

付近の国際港が 投資効果◎ですよ



まあ 東京のほうが より効果的なのは 当たり前ですが その次は 大阪港だよ

京都からの水の出口になる

淀川を下って(その昔は 山背川と呼んでいた)

大阪駅の北側を流れて そんで USJの前の海に流れ出る水の流れになっている



1300年ほども この流れが 主流の 人 モノ お金の 水の流れ



昨日 大阪駅付近を歩いてみてて 

駅の南のほうに 露天神社 通称 お初天神 って

神社が 大阪駅からすぐの場所にあるんじゃ

この大阪駅の周辺は その昔 淀川の中洲みたいな 湿地だった と思う

かつては 難波神明社と呼ばれたぞうだ

大国主を祀ってある 

金刀比羅宮も 右側に祀ってあった



日本海側の出雲系もおられるし 四国の金刀比羅さんも 来ておられて 海からの出入り口だったんだろう

昔の 摂津の入口やな~

大阪の真中 キタの街中 に 入口は狭いが 神社内はけっこうに広いよ

お初天神

そんで そこから15kmほども 淀川を上っていけば そこの中洲にも 三島鴨神社が 淀川の中洲にあった その場所は トーナイの 高槻市 三島付近の工場の辺りになる

とにかく 淀川周辺にある 神社は 全てご縁があると 考えて僕は 常に感謝をするようにしてる



海系 渡来人の古代の 海 川の道じゃ

どうなんじゃろうな~ その古代 1300年も前は

大きな船が 大阪港 このはな咲くや の 此花の海岸に着いたら 小さな船に乗り換えて 京都に向ったんかな~ 荷物なんかも 運んだ

現在の高槻市 付近 三島や そのあたりの河川では 平安の貴族が 船遊びなんかも していた みたいだ

藤原氏の一族だったんだろうね~ 多分 そうだと思う



そんでな 高槻市と茨木市の北側の丘の小高いところへ

藤原鎌足は 埋葬された と思う 阿武山の山頂

京都大学地震観測所の場所じゃ

 此処からは 畿内が 全て良く見えるし



その息子さんの 藤原不比等が この国の方針というか それを示したんだろうと思う



蘇我氏が 消えて その後の 藤原不比等までの 間が まだ ワシには よく 理解が出来ていないんだ けれど だんだんと整理が進んでいくと思う



とにかく 3世紀ごろから8世紀ごろにかけても

この 大阪駅周辺から 京都周辺 調べていると面白くておもしろくて たまらないな~



此花咲く という 此花区は その昔は福島区も此花と言うたみたいで 日本の昔からある地名なんや 

此花は古代からの日本の玄関 とも 言えるんじゃ



此の(この) って 漢字が読めないような人は 日本人とは言えないよ 此れって ほんま!



そんで此花の港が 桜島埠頭さんと 東洋埠頭さんじゃ そこからは 満州国建設の折には

内地からの 物資を集約して船に積み込んだ場所で その物資  日本は 満州に巨額な投資をしたんじゃ その物資を ワシの此花区梅町の場所から 船に積み込んだんじゃ これは 史実で 土地の履歴にも 出てるな~



僕は昭和53年に吉備の備前のみま作から 追い出されて 吉井川を下って 海に出て 備前から 流木にしがみついて 大阪港に流れ着いて そして 淀川を遡って昇ってきて 摂津の三島の 淀川の草にしがみ付いて 這い上がってきたんじゃけれど そんで 三島に住み着いた

生後1週間の 長女も一緒だったので けっこう厳しい旅だったが 今 淀川周辺に根をおろしかけているところや 37年目や

なので 淀川周辺への 思い入れは大きいし 淀川のご縁にも感謝をしているな~



まあ こんな大きな街で で ミマのド田舎の者が 飯を食うていけていることにも 感謝せなあ あかん

以下のリンクは 僕のリサイクル会社のHPです

http://tohnai.com/top_main.html



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