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トーナイ中山太神宮の秘密五矛たてを1300年上 管理の東内 出雲と吉備

投稿日時:2015/04/06(月) 06:43

魏志倭人ぎしわじん伝(中国の国書)では 卑弥呼という女王に銅鏡100枚を与えた 

卑弥呼の死後、男王がつくも、世が乱れる→そのあと、

壱与(いよ)が王となり国を納めた

3世紀後半、一女子を立てて王な為す、名を卑弥呼という・・・



卑弥呼は呪術をもって政治を行う 占いをするんじゃ

魏(魏ぎ 呉ご 蜀しょくの時代)にニッポンは使いをおくった

(中国三国志の時代)



今から 1800年ほども前に中国から銅製の鏡を倭国の女王が貰ったのは事実。

その時代 今の島根県には 出雲大社があったんだろうか?

ワシの生まれ故郷の美作 備前 和気の

天石門の神社(滝宮 飛騨の瀧 ミマサカのアマノイワトわけ)

ここの由緒は、ワシは此処を2000年以上も動いたことはない と 言うているし・・

ここら辺は忌部氏の 関係のような気もするし・・・

いんべ というたら 吉備なんか四国なんか よく解からないんだよ

阿波の忌部氏か・・・

大麻草で なにかと作って あらあえ だ

天皇が即位の時の衣服を阿波 忌部氏が献上する 今でもそうだし・・

あらたえ 意味 で検索すると 藤 麻 こうぞなどの原料で造る布だ 大嘗祭 に 関係する 大嘗祭を知らない人が日本にはおらん

天皇が即位の時の儀式じゃから・・・



書いている自分も 何が言いたいのか混乱しとるな~

出雲大社と伊勢神宮 わからんな~

そんで 出雲街道 という道があるんじゃ

出雲街道は 現在の 大阪の吹田市の吹田インターチェンジ辺りから

中国自動車道の現在のルートとほぼ、同じような道だと考えたらよい

大阪から 伊勢への道は 僕は詳しくはないが西への道は詳しいほうじゃ

淀川あたりから 出雲方向 出雲街道 瀬戸内も含めて その辺を調べてる

播磨を抜けて 美作をぬける その辺りが 伊勢と出雲のどうも途中のあたりじゃ この辺りが 旧 吉備の国なんじゃけれど

4/5も 祠の中に籠もって

正座して 東内誠 ご先祖が奉った 神さんに 願って願って過ごしていたんじゃけれど



なにやら 語りかけてきてくれるんじゃ

吉備津日子を奉り、チュウザン太の神さん・・・の祠

なんぞ 東内誠のご先祖は隠している

お前が それほど知りたいのならば 竹の笹の中に隠したモノを

開けて 見てごらん っと お許しが出たどう~



竹の笹 かなり年代が かかっとる 紐で縛って・・・



何やろう?とは 子どもの時から気になっていたんじゃけどな

50年も気になっていた 笹を 一回解いてみた



出雲大社の札じゃない・・・



なんで 吉備津日子が出雲大社なんじゃ?????

ああああ 腰が抜けそうになった



なんで 出雲が吉備津日子さんから 出てくるんじゃ?



中山神に 出雲の ご縁があるのじゃろうか



吉備と出雲 どちらも 古い どちらが古いと言われれば

わからん



吉備津日子を祀っておるようにみせて 

実は出雲を信仰しとったんか ワシの先祖・・・

隠れキリシタンみたいなことを いにしえから 

(とうない) はやってたんか?



とうない とは 唐 では ない と いうような 

被差別だったみたいな

事を歴史に詳しそうな人が書いてあるのも 見かけた



ほんなら なんなんじゃ? 藤原氏の内舎人を藤内という というのは?

藤原氏というたら 天皇の外戚じゃぞ そこに仕えたわけじゃし

まあ その藤原氏が出てくるのが かなり後の時代だから

白村江の戦いの 前後やから・・・



百済を応援に行った 日本は 唐に敗れたんだったよね



解からんな~

まあ 藤原氏はおいておかんと 時代はそれより400年も前の事や



出雲大社に もどらないと・・・

徐福と 出雲大社は 関係するんか?



徐福が 秦 始皇帝の許可を得て 日本へ移住したのが2200年も前の時代か



佐賀県あたりから 出雲のほうへ移動し 住みついた徐福の関係者もおったんかな~

済州島に 先に上陸しとるので 潮の流れで 出雲のほうへ着いた徐福の一段の中の船もおったんかも 知れない



それが2200年前ならば 出雲は 2200年前から 

かなりの渡来系が入ったんか

そんで 先に 王国を作ったか?



その後の渡来をチャレンジした者もいたんだろうが、

出雲がその時代

新しい渡来を跳ね除けていたが 

兵庫県の播磨風土記のアメノヒボコも はねのけられた から

若狭か

敦賀あたりから 上陸したんか?

播磨風土記では 伊和大神という神さんと アメノヒボコは領地争いをしている

これは先週末にも書いた

嗚呼 今日のブログは人様に見られたらアホウやと思われるわ



とにかく 中山太神宮の中から・・中に 出雲が隠されていたのが

僕には 動揺 だぞ 

これは・・・

この動揺は かなり 続くと思う



出雲と吉備の関係 時代時代でいろいろとあった と思うが

一番の昔が知りたいんだ

出雲と吉備というたら 岡山県の蒜山高原を過ぎたら 直だしさ

繋がっていないとは考え難い

出雲の勢力は どの時代に どの辺りまでの勢力圏だったんじゃ

そんで 何時の時代にその勢力を割かれたんだ?



まあ 間違いないのは 吉備もヤマト朝廷成立にはかなり深く関わってきていることは 間違いない

その吉備と 出雲の関係が知りたい



そんで近年も ご皇室から 出雲大社の関係者に嫁がれたみたいな関係もあって 興味深々だよ



http://tohnai.com/top_main.html



なんか 中途半端な勉強で 結果 何も解かっていないのが

トーナイの東内誠の古代史の途中経過の現状。



いにしえから 金属を追う トーナイ 金属を制した者が

覇者となって 金属を見つければ それは身分も財産も大きくなっていくもんじゃ というような事を考えていますんです



そんで 金属で武器を作って持った勢力で また その上 人を引き付ける魅力のある王様に 人々はついて行く
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