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東内社長BLOG

大阪港トーナイ此処の所は明治維新、今日は龍馬と弥太郎、三菱商会・海運から金融へ

投稿日時:2015/04/21(火) 06:34

海援隊 心得 第一条、運輸 開拓 投機などを行ない利益を 追求する これが第一条

天下の大仕事の為には まず、金を儲ける(龍馬から)

「西洋に負けない国を造るには これから世界と貿易やって 国を富ませなあかん ワシぁ その先駆けとなって

7つの海を駆け巡り ワシしゃ頑張る」



弥太郎は龍馬の言葉に感銘した

ワシと一緒に 世界の海援隊をやろう・・



後に 弥太郎が作り上げた三菱へと繋がっていく・・・



出合って わずか3ヶ月足らず、弥太郎は 親友になっていった その後 京都で 龍馬は暗殺され 享年32歳だった

それを知った弥太郎は愕然とした 

共に夢を語らりあった龍馬は もういない ・・・

海援隊の火を消すわけにはいかない 

弥太郎は決心した

行くあてのない 海援隊の人材は土佐商会で引き取った

明治になり大阪の土佐商会をやった その後 

つくも商会

明治4年 廃藩置県 



弥太郎が土佐藩の船なども引き継いで 4万両の借入金も引き継いだ

明治6年 三菱商会に改名

海運王を目指すこととなった



そして時の権力者に接待攻勢をやった



明治7年 台湾出兵を政府は決めた



その時 弥太郎は外国への軍事輸送を請け負った

「おそれながらも 政府の船を使わせてくれ」と交渉

明治政府の 大久保利通とも気があった



政府から 船10隻を無償で借り受ける交渉に成功し

台湾出兵後も その後も 政府の船を使わせて貰う交渉にも成功し 巨大なライバル船会社を潰した



その後 上海航路開設に むけた動き 

世界の海兵隊に向けた動きが始まった 

それには 巨大な米国の船会社ととの 熾烈な戦い(値下げ競争)

そのため 三菱の負債額は凄いことになったが、

そのライバルとの戦いにも 勝ち 

撤退するアメリカの会社の船を買い取った

 

またその後 また イギリスの船会社とも 戦うことになる

値下げ競争は続いた・・・



その苦しみの中で 坂本龍馬の言っていたことを思い出して

「荷為替金融」を 思いつく



船の貨物を担保にとって 金を貸す手法



その後 これが 三菱銀行にも結びつく



ついに 外国資本との 競争に 岩崎弥太郎は勝つ

50歳過ぎ

「まだ 志半ば 10のうち1つか 2つしか達成しておらんに」 と 嘆いて 明治18年家族社員20名ほどに見届けられ世を去った



値下げ競争の苦しみの中で 金融を思いついた岩崎弥太郎は成功した



日本で 複式簿記を採用したのも 弥太郎の会社らしい



「立業貿益」グローバルな視野にたって 仕事をしなさい

「どんな 困難にも 必ずプラスに持っていく へこたれない精神 と 国の為にも尽力する精神」

坂本龍馬の思想が乗り移った 岩崎弥太郎がそれを遂げたんだ



どうなんじゃろう

ワシが今 毎日 出勤する 大阪港の営業所

トーナイ此花営業所の周辺は 岩崎弥太郎も歩いたんだろうか

明治が45年 大正時代が15年 昭和が63年か

今 平成何年だったっけ ど忘れしちゃうんだ たまに・・

27年だ

130年ほども 前の時代の大ばくち打ちの話し

岩崎弥太郎は 幼い頃から 暴れん坊でもあって

土佐藩の 最下級の武士だった

武士とは言っているが 百姓もして 田畑も実家はやっていたと思う

土佐藩では 武士階級の中でも かなり厳しい差別があって ほんまに貧しい最下級の武士の身分

しかし その時代 よい時代でもあって 平穏ではなく

そんな 者の中からも 時代は優秀な者は 伸びてもいけれる そんな時代でもあった 

学問が出来て そろばん というか 帳簿付けなども うまかったんだろう 若い日の弥太郎

どん底の身分から 這い上がってきた

そして 藩の仕事をするなかで 坂本龍馬と交渉したり

する機会に出くわして 龍馬に強く曳かれていった

3ヶ月後に 若くして暗殺された 龍馬の思想を引き継ぐことになった



この岩崎弥太郎 その古代からの血の流れは

どうなんじゃろう 秦氏系?

そんな 感じじゃ ないかな~ と 僕は空想している



その昔でも 船一隻というたら 凄い投資金額だったと思うな

土佐藩から 会社を譲渡される時にも 凄い借入金も一緒に承継したんだから

そのプレッシャーも 大変だった と思うな



借金は 毎月 返さねばならないから その時代も そうだったんじゃろう



しかし その借金というのは 何処から 借り入れていた物を引き継いだんじゃ?

その資本家 は その時代 誰だったんじゃろう



上に書いた 三菱のライバルは アメリカ イギリスと 出てきてる



長崎県 が 龍馬の話で よく出てくるが

長崎には 外国資本が昔から入っていたみたいだから

ユダヤの金なのかも 知れないな

これは 僕の空想の世界のことだけれどね

明治維新前後も ユダヤ資本は 日本へきていたかも知れないね なんか それは 感じる



「荷為替金融」って 日本人の発想だけで 造れた って事自体 すごいのだが 何かをヒントにしていると思う



まあ、子どもの頃から 龍馬のファンやけれど まだまだ知らない事も多いな

最近、明治維新って 事もまた 追求していると 

色色と不思議を発見したり 

これらの先人の このリスクをとられる様を読んでさ

気合をもっともっと入れちゃろうとワシも 思う



2017年日本では デフレが若干 大手企業で修正気味に推移してきているが 僕たちの住む スクラップ売買の業種では 超・デフレ現象の最中であり 過酷な価格競争の真っ只中に暮らしているので 

この三菱の創始者 岩崎弥太郎のチャレンジには 勇気を頂戴できるところがある

そんで現在 金融も学ばなければと エエ歳をして

経済学とか 金融とかも 手探りで 独学をやっているという事もあるかな



シーボルト(オランダ人)1830年がこっそり持って帰った日本の地図(国外秘)を持ち出した その地図をぺりーが持っていた

ペリー来航





この先は 変わった人の動画を視ての 変な話のメモ**

1.土佐の万次郎漂流し とりしま に・・・

鳥島に近づいたアメリカの船に乗せられ 万次郎はアメリカに渡った

アメリカに居た 広東省の責任者ルーズベルトの親族 麻薬商社などと関係した



1861年沖縄 琉球に 万次郎は流れ着いて帰国

その時代 島津→土佐 山之内ようどう公に会う

万次郎の 海外経験を 土佐藩は書き残した

それを 多分 龍馬なども聞き読んで海外の情報を得た



その後 数年で ペリーが開国を迫りに わが国にやってきた****下田条約

金の交換比率 日本は非常に金や銀が安かった

その時 日米就航条約 不平等条約

トーマスグラバー

グラバー商会の設立(イギリスの麻薬商会の日本支店)


1.グラバー商会が倒幕派の薩長土佐を支援

龍馬の1865亀山社中とグラバーが取引

(アメリカの南北戦争で 使わなくなった銃器をニッポンへと 売りつけた)

1863伊藤博文も渡英 1866薩長同盟 1867大政奉還

1885年伊藤博文初代 内閣総理大臣就任

1889年大日本帝国憲法公布される

(伊藤博文などが法律を学んで帰国したから)












4/21 5時半 現実に戻して



中国の預金準備率の下げが ダウを上げた



中国の資金が海外の株にも投資されるイメージなのか



銅相場は 日本時間夕方までは良かったに大きく下げた



また6000$周辺だ



あかんな~



上海銅も 円換算して835円/kgに下げた


4/20の夕方は840円辺りだったに・・・


中国の銅需要は出ているんだけれどね


仮定計算上の日本の銅相場は765円/kgだ


銅が売れないと中国でね それは困るのだが 




売れるのは売れて消費はある



しかし そんなに強い消費ということでもない



資源循環は平常に行われている 

ただ 資金循環が鈍いということだ



そういった事では この度の 金融機関の預金準備率の引き下げは良いことなのだが 我々の資源の業種にも資金が正常に循環するか どうかと いうことだ





エネルギーが安くて 資源鉱業が売られ気味ということが 金融業会にも知れ渡っていて 金融業界は 資源業界に貸し渋っている傾向が 世界的にもあると思う


日本でも 金属資源エネルギーに投資した商社などが


評価損などを出されているということも悪影響になる


4/20は 思ったよりも上海総合指数は下がらなかったが


そんでも上海B株は4%下落し 上海総合指数も1.6%も下落した


日曜日の金融緩和策の発表がされなかったら と仮定したら 5%以上は下げたと思うな ワシ。


昨日の朝の日経平均は151円安で寄り付いたが その瞬間に ETFを買いから 入るか悩んだが 止めた


19500円を勢いよくは 買うには高い しかし そんな事を考えて悩んでいたら あっという間に 日経平均が25000円にもなるかも 知れないよね


しかしさ 外資は3日 連続で売りこしているんだ


420は 不動産業 証券その他金融 鉱業などが 業種別では東証では売られた


中国の生産関係の指数では 4月のPMIが4/23にHSBCが出してくる


アヘン戦争の関連会社? のHSBCだ


たぶん 上に 書いた 明治維新にも 関わっていた金融だと思うな~


坂本龍馬や岩崎弥太郎とも 伊藤博文とも 多少は関係したのんじゃないのかな~


ユダヤの資本とも 微妙に関連性があるんじゃないかとも 僕も多少は疑っています


そうなんじゃ


ユダヤは世界の金融を支配していく方向性は持っていると思うな~


金融や 資源にも 大きく関係するはずやから


イギリスや米国の 大資本というのは ユダヤ人の血が混ざっていると思う





トーナイも ユダヤの流れは その昔に入っていないんかな~


吉備の美作(みまさか)に ユダヤ人が住んだ っていう


噂も あるのじゃ


それは 多分 家の南の方の平福の丘から


日本一 美しいとされる石棺が出土したから


その石棺に 尻緒の太い 羊なのか


午(馬)なのかは 解からないが その石棺は


現在 東京国立博物館に収蔵されていて貴重なんじゃ


そんな事もあって ユダヤ人がみまさかに1500年ほども前に住んだ って噂なんか どうかは知らないが


ネット上でも 美作にユダヤが居た って出てるね~





ワシは秦氏がユダヤの血をひいているんじゃないか とは考えています


その昔から 瀬戸内は 世界一住みやすい場所だから


いろんな民族が 辿りついた可能性は高いんだ


そんで 鉱物資源も豊富だし


全て 揃っているんだ 快適に暮らせる要素が





そやねん 備前の市では 顔が黒いような人も歩いている風景画もあるし あれって黒人じゃないの?


包帯をグルグル巻きにしたような人も 市のすみに出てる これは ハンセン病の患者かな~??





まあ とにかく 瀬戸内周辺には いろんな時代に いろんな人達が渡来してきたと思う





そやねん 坂本龍馬たちも 維新前後 長崎と大阪京都を その間を船で移動した場所や


これが 今から150年前の頃だし


維新は





まあ 今日もブチ切れたブログを書いた


大阪港の 屑商 トーナイ 元はみまさかの出自東内誠





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