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東内社長BLOG

俘囚ふしゅうを連れ帰った それは金属の技術者?4世紀任那百済 七支刀 備前石上モノノベ・モノノフ

投稿日時:2015/06/01(月) 06:08

『ななつさや の たち』日本書紀にはとの記述があり、
『しち し とう』とも言う これは西暦370年ごろに
倭の王様に対して 百済(くだら)が朝貢(ちょうこう)した時に献上されたもので、裏と表に61文字が記されている

好太王碑に書かれている文字と共に 4世紀の倭に関する資料としては貴重なものです

4世紀というたら 今から1650年程 昔の時代のこと
この しちし刀 
この ななつやのたち は 倭の王に仕えた 

戦う系の豪族の物部氏が保管した
http://www.isonokami.jp/about/c4_2.html
***上記リンクは 奈良県天理の石上神宮***

この しちし刀 は 備前(岡山県)の 布都霊 石上神宮に ある時代までは保存されていた(これは 天理市に行く前なのだ)

その 岡山の神社は 現在でも宮司が物部と名乗る

この時代 百済は その時代 倭に 応援を求めないと 高句麗 新羅が 何時攻めてくるか 解らないという事もあった
この4世紀ごろなのか 倭が ミナマ 任那に 日本の政府の出張所のようなモノを設置したのが?
倭の軍隊が 遠征して かなり奥のほうまでも行って暴れている様子が好太王碑にも 刻まれているから間違いないな~

この時代4世紀が 新羅、伽耶(から)加羅(から)、百済
という国と倭に 分かれていたのか そやな・・・

とにかく その時代に 備前国の石上にしちし刀が来た
この時代 朝鮮半島の先っぽに 倭国があった
そこで 鉄が採れたんかな~

3.4世紀に 鉄の技術者を 倭は大陸から 連れ帰った可能性が高い
その技術者は 九州や出雲や 備前にも来たと思う
俘囚(ふしゅう) この強制的につれてきた技術者を俘囚とも いうように書いてあるものも あるな~
俘囚というような事は 現代では 完全に差別用語になるか 
なんか 鍛冶を 職業差別していた傾向が残っているのも その渡来の経緯をそんな風に言うのかも知れないね

何処かで読んだことがある 安部総理のご先祖が 俘囚の長をしていたとも 書いてあった
まあ、しかし それらが武士にも繋がってくるのかも知れないし 解らないことが多いのだ 日本のルーツというか古代史
日本史の用語基礎知識というものからコピーすると
以下のとおりです
陸奥国の豪族。
蝦夷俘囚。

元は、阿倍氏(安倍氏)の部曲、または、
阿倍氏(安倍氏)との間で従属関係にあり、
やがて主家の氏を僭称したものと考えられている。

こうして、阿倍氏(安倍氏)を冒していることから、
系図上では阿倍氏(安倍氏)と同じく孝元天皇の第一皇子である大彦命を始祖としている。

別説では、長髄彦の兄の安日王を始祖とし、神武天皇の東征の際に、
追放された安日王が北国に逃れ、その末裔が安倍河別命の蝦夷征伐で功績を挙げ、
安倍氏を授けられた、とするものもある。

奈良時代に、阿倍陸奥臣、安倍会津臣等が存在しているが、
これらの阿倍(安倍)諸氏と、陸奥国の安倍氏との関係については、
一切わからない。

実際には、安倍忠頼以前の確かな系図は不明である。

その忠頼は「東夷の酋長」とされ、
忠頼の孫の安倍頼良(頼時)の代になって、
陸奥国奥六郡俘囚長としての安倍氏が日本史上に登場する。

ただし、安倍氏を蝦夷とすることについては諸説あり、はっきりしない。

安倍氏は、『前九年の役』で、
朝廷の命令を受け東下した清和源氏の源頼義によって、
陸奥国での地位を喪失した。

安藤氏、秋田氏、藤崎氏、磐城氏、松浦氏等、多くの氏族が、
この俘囚の安倍氏を始祖と称している。

とにかく ワシらのご先祖は 渡来人系が多いということだね

そんな気がする

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