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銅相場と金属の古代史 キビの国 金属に関わる 船で移動することに関わる物 トーナイ

投稿日時:2016/01/06(水) 01:34

19.26 (12/6)  18.25 (1/6)【人民元→円】 

この30日間の円高率 約5%円高 中国元安、

この間の海外銅相場の動きは +引くゼロ、

よって海外に売れる銅価格は5%下げた。

100円のモノは95円になりました

1/5は中国政府による大きな為替介入もあった模様

シャンション指数は 一定の落ち着きを取り戻した

http://tohnai.com/top_main.html

 

金属の相場を1300年以上も追う一族 吉備のモノ

トーナイ 中山太 金属に関わる祈り系

ワケの犬 

犬飼三千代(藤原不比等の後妻)

犬養三千代の元の旦那は 三野の王

(三野/御野の国は その昔は 現在の岡山市付近 吉井川付近)

吉備は その昔から 金属と関わりの深い場所である

 

百済や新羅 かや から かん とも深い繋がり

多くの渡来人が金属を求めて 晴れの国、瀬戸内の

気候も温暖な 岡山県にやって来た

 

★トーナイと有木は共に化外からやってきた・・・

今朝は 吉備の歴史の研究の方の文章から

以下 数行をコピー・・・【  】

 

【突厥国の東西分裂は583年である。

川上一族の渡来時期は六朝時代の最後、583~589 年頃である。

突厥国の東西分裂による混乱により吉備(黄蕨)国へ渡来した。】

 

【備後吉備津神社の社家は有鬼氏である。

大同元年(806)に備中吉備津宮を分社した時に、

吉備中山の有鬼氏より社家が来て元禄頃まで有鬼氏が宮司職であった。

古代には祭祀権を持つ人間が政治権力を握っていた。

中山神社(津山市一宮)『中山神社資料』

の荷前(のさき)祭主は有木氏と東内氏である。

荷前とは祭りの時に、神への供物を集める役である。

有鬼氏から有木氏への変更は、「和銅六年(713)の制」によるものである。

「機内と七道との諸国の郡、郷の名は好き字を着けしむ」によるものである。

 

魏志倭人伝の「有鬼國」と有木(鬼)神社

『備前吉備津彦神社縁起』延宝丁巳(延宝五年・1677)の朱印有りに、

「モウ鬼・ツテウ鬼・シャクシャウ鬼トテ不知其数」とある。

『魏志倭人伝』に有鬼國と鬼奴國が記録されている。

『先代旧事本紀大成経七十二巻本』に「黄蕨前国一宮」との記録がある。

「黄蕨キビ前国一宮」とは、「有鬼國」の「有鬼神社」である。

『魏志倭人伝』は中国の史書『三国志』の「魏書東夷伝」倭人の条の俗称で、撰者は晋の陳寿である。

3世紀後半に成立。倭国の記録は2~3 世紀である。

鬼奴国の記録は、熊野本宮大社・九鬼宮司家の『九鬼文書』に注目している。

九鬼家は大中臣神道の宗家で熊野別当宗家である。

古代末、中世から近世にわたり日本最強の九鬼水軍を率いた名門(戦前は子爵)である。】

以上 数行をネット上から お借りしました

 

九鬼文章 って インターネットの古代史でも 最近よく聞く

この九鬼文章に 有鬼氏も関係するのか そうか・・・

 

とにかく 有木と東内は 化外から来た という事は知っている

ここで 出てくるのが 大が 頭につく 中臣か・・・

 

蘇我氏のボスが 備前 みまさか に 屯倉を作ったのが西暦555年だ 今から 1460年前じゃ

蘇我氏のボスがわざわざ 美作に出向いた

蘇我氏は 白い馬にも乗っていたと思う

白い午(うま)というたら 新羅系になるか?

しかし 吉備津日子命の時代なら それよりも300年も 以前の時代になるのだ???

卑弥呼 以前の年代だよね

 

ああ 年賀状を頂戴した 卑弥呼の里の 皆様 

これ どうも読んで下さっているみたい 

キビ国 中山太神宮 東内誠さんへ という年賀状が届いたよ

 

どうも 藤原鎌足と 藤原不比等様が 記紀を編集なされて 

色色と戦略を施した可能性が高いのが 古代史だ

***歴史は勝者が書くので・・・

それで 日本の古代史が 実に理解し難い

 

 

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