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東内社長BLOG

吉備の超古代史も凄いが 鹿児島県の上野原遺跡も古い縄文初期に定住生活その後 火山で消える

投稿日時:2016/02/28(日) 11:00

はるかなる時空の旅の瞑想 日本人はどこから来たか 北の方から寒冷期に陸続きでマンモスを追って入ってきた人たち マンモスを追ってきた人達も瀬戸内に住んだことは間違いない 瀬戸内が 海抜が低い時に 瀬戸内海ではマンモスが採れた   もう一つのルートは インドネシアから 台湾や沖縄 奄美などを経て 漁労民が 南九州に船でやってきたルート 多分 これは1.2万年以上も前から来ていたと思う   この漁労民の中には 多分 お米も 五穀も もってきて住み付いた人もいたと思う(今から 多分 五~八千年も前?) 縄文時代の初めの頃になる   南九州から 少し 南の方の島には 縄文人が住み  かなりの文化があった様なことをが書かれている   そんで 過去一万年で 最大の火山の大爆発があったのが 今から6300年前 この火山爆発は 桁違いで 日本中に大きな影響が出た   魔界カルデラの大噴火 薩摩硫黄島    この6300年前の地層から 海洋民の生活の証拠が出てきて 世界最古の船を作る ノミのような石器も出てきてる 此れまでの縄文時代という概念を超えるものが出土した 鹿児島県の 上野原遺跡 9500年前の 規模の大きな  縄文人の遺跡の出土『1997年』 縄文時代は 東日本中心だった という常識は覆る この上野原遺跡を見ていると 1万年前ごろより 火を使って燻製を作ったり 定住生活を始めている 石器も ノミのような刃先で 木をくり抜いて 船を造る   この南九州の 島の 縄文人たちが いきなり消えるんだ   これが 魔界カルデラの大噴火だ(これは 史実)   そんでも この海洋民は 鹿児島からだと 瀬戸内の吉備の辺りにも 船で行った可能性は高いと思う   ワシの里の 美作にも1万2千年前の住居跡も残ってるし   御米の 元祖 プランとオパールも 5000年も前の時代のモノだったかのが発見されている 岡山県と島根県だったっけ そこから出土した 御米の元祖 プラントオパールは 日本一 古い   中国の揚子江流域だったか 河姆渡遺跡 あの辺りは1万年前から 米が作られたみたい 年数あってるか?   中国の漁労民 浙江省あたりの漁民に聞くと  日本へ 潮で流されることは現代でも良くある事らしい   流されたら 九州とか 若狭とか 能登半島のほうにも 流される場合もあるらしい 対馬 壱岐 隠岐の島などにも 漂着するかも知れんョ 中国のゴミというか ペットボトルなどが 能登半島にも流れ着くこれは 環境省なども現在でも調べてレポートしてる   縄文人は 船を使って 朝鮮半島の南部にも 行って そこで 縄文土器なども 残しているという事実もある   対馬からだと48kmやから すぐ目の前でもあるしね 韓国の人が お米つくりを 日本人に教えたといっていたら それは 違うと 言わねばならんョ ほんなら 縄文土器が南朝鮮で なんで出てくるんじゃ    行ったついでに 水田は 見てきたかも 知れない お米の渡来は 中国から 直接 渡来した部分が多いと思う 浙江省付近の漁労民は 半農半漁のものも居て それらの人たちが 瀬戸内や 九州に 伝えた   http://tohnai.com/top_main.html

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