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古代吉備国 応神天皇稜? 西暦400年初頭の頃(1600年前)金属や午が半島から来た

投稿日時:2016/03/28(月) 05:46

岡山に謎の巨大古墳 http://style.nikkei.com/article/DGXLASFK18H3D_Y5A410C1000000 倭の五王の1人のお墓ではなかろうか と研究者は言っている 造山の主は 讃 ではないか と専門家は言っている 可能性が高いのは 応神天皇   ちなみに 日本一は 仁徳天皇(大仙古墳)486m 4番目の大きさが 造山古墳350m 9番目が 此れも岡山県の作山古墳286m(日本9番目) 巨大古墳の1から9番のうちに 畿内以外では 岡山県の古墳が2つ 入っている 西暦400年代に 造られた 石棺の素材は 阿蘇の石   そういえば 大阪三島の高槻市 第26代 継体天皇の墓石も 阿蘇の凝灰岩を運んできていた   第15代応神 この大王は 岡山県に深く関わっていることは間違いない と想像  吉備の出自 大阪港の金属貿易商トーナイ   この造山古墳付近からは 馬方帯こう といって ベルトのバックルのようなモノも出土しています 馬 午に乗ったりしていたと思う https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A0%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3_(%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E5%B8%82) 造山古墳   トーナイ 東内誠 は 古代史で とぼけた事ばかり書いていると思われているが この墓が 15代応神天皇の墓の可能性もある   九州とも 仲良くやれていた可能性も高い  瀬戸内から 関門海峡を越えて 朝鮮半島に渡るには 九州とも 友好的でなければ 航海上も 危険となる 九州北部から 壱岐に渡り 対馬 そして 朝鮮の南端に渡った   鉄片なども 朝鮮半島南部から 持ち帰ったはずだ   それを 加工し 鍛冶をやり 武器や 農機具を造った   400年初頭 現代から1600年ほども前の時代 畿内の 政権とも 友好的にやっていた   九州と畿内の丁度 瀬戸内で 真中の位置なので  吉備は その時代 大王を出した   九州の豪族というか 王も 大きな力を持っていたのかも 知れないが 前方後円墳などの 大きさで見ると 比較にならない   この時代 金属は 今より 価値が高かった・・・   http://tohnai.com/top_main.html ↑ 金属スクラップの売買は 是非 トーナイへ 小口 大口に対応 大阪港のUSJ前の クズ屋 貿易商   この週も 日本中から 金属屑を買い集める トーナイ      

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