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東内社長BLOG

淀川のほとり 三島(高槻市)に西暦500年頃ヲホド王が住んだ継体 聖徳太子のヒイ爺さん

投稿日時:2016/05/16(月) 06:23

西暦500年過ぎごろ、福井県の出自、御陵が淀川のほとりの三島(高槻市)にある継体天皇が大伴金村・物部麁鹿火 に より 推され淀川の現在の枚方市(樟葉宮)507年、511年筒城宮(京田辺市) 518年弟国宮(長岡京市) 526年磐余玉穂宮(奈良県桜井市) 継体天皇がヤマトに入ったのは最後の5年 「この継体天皇は 第15代応神天皇の5世の孫である」 5代というたら、約百年近い年月 か・・ 西暦では450年以降の生まれで そのヒイ孫が聖徳太子になるんか? 継体天皇の没年は 西暦531年もしくは 534年とある この継体天皇の指示で 九州の磐井を  物部荒甲() (もののべのあらかひ)の大連() ( おほむらじ )、大伴の金村() ( かなむら )の連二人を遣わして、石井を殺したまひき。 天皇の御歳、四十三歳() ( よそじまりみとせ )。〔丁未の年の四月九日に崩りましき。〕御陵は三島の藍の御陵なり 古事記より・・・ 継体天皇は 淀川水系から 瀬戸内を通り 九州に向かい ヤマト王家に逆らう 磐井を討った この時 継体天皇43歳。 この継体天皇 新・王朝説を仮に唱えたとしても 現在まで ご皇室の歴史は1500年と世界一である   西暦539年 北魏が滅亡し 隋がたつ 西暦607年 小野妹子 遣隋使 西暦607年 中臣鎌足が生まれる (後の 藤原鎌足 三島高槻市の 阿武山に眠っていた) 西暦622年 聖徳太子 亡くなる? 西暦626年 蘇我入鹿 殺害 (大化の改新?)   西暦659年 中臣鎌足(藤原)の跡継ぎ 2代目 藤原不比等が京田辺で過ごす(13歳から28歳)   西暦660年 百済滅亡 西暦663年 白村江の戦いで 唐 新羅の連合軍が勝利する   西暦668年 天智天皇が即位する   西暦669年 藤原(中臣)鎌足が 高槻市 阿武山に葬られる 西暦670年 百済より 多くの移民が移住した   西暦672年壬申の乱 西暦673年天武天皇即位 西暦676年 新羅が半島を統一   西暦500年ごろ 継体天皇は 福井県から 滋賀県の辺りで 勢力があり その周辺の 鉄を押えたか? 日本海ルートも 瀬戸内のルートも 海を移動して 百済との貿易をやっていたと思う   継体天皇 船と鉄に関連が強い ヲホド王 https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=ER1b13_u2So   『日本書紀』では男大迹王(をほどのおおきみ)、 『古事記』では袁本杼命(をほどのみこと)   http://tohnai.com/top_main.html ↑大阪府高槻市のリサイクルの企業トーナイへリンク 金属スクラップ 高価買取の社主ブログ  高槻市と大阪港で屑の輸出をやっております トーナイ 東内誠

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