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天皇の称号の始まり 天智 大伴 を天武が壬申の乱の倒して 伊勢神宮を味方につけて・・・トーナイ 超古代から金属を追うモノ 

投稿日時:2016/09/29(木) 06:07

9/29 2:23 銅 4826$ アルミ1665$ ニッケル10710$ 
鉛2005$ 鉄鉱石53.78$若干割れ 上海銅先物夜間37700元

以下は 西暦670年代の頃の天皇と称号を呼び始めた時代の トーナイの勉強オオアマノミコ 後の天武天皇は 神との繋がりを強調し人々を引き付けていく
672年7月

オオトモノミコと 対決する 壬申の乱 

古代最大の戦闘 関が原で激闘を繰り広げる
飛鳥を巡る 戦いでは オオアマノミコは有利に戦いを進め
その後 琵琶湖 大津の都に攻め込み 大王おおきみ の座を手に入れ
奈良県の飛鳥(あすか)に 再び都を戻す
(663年白村江の戦の敗戦)

(その時代 百済の難民が大量に渡来したあとのすぐの時代)

673年 天武2年 天皇の称号を初めて使う

道教の思想 不老不死の思想 天皇中心の考え方

新しい国家 対外的にも意識した 呼び名

これが 今日まで 続く
戦いに敗れた大伴皇子(おおとものみこ)の 御子孫は お寺の住職となった
(後に明治時代 弘文天皇とされる)

この壬申の乱で 天武天皇は 伊勢神宮と深い関わりとなっている

大嘗祭の始まり
天皇の神秘性を強調し 多くの豪族を引き付ける為もあった
天皇の絶対的 権威を高めた 天武天皇

北極星を中心に 回る という 思想 北に中心があり 南を向く形を強調
天武は 占いや 神憑りが 出来た 超人だった

飛鳥で宮殿の建設 中国式を真似て 南北の方向を意識した構造

エビノコかく 国家の歴史書編纂するなどの場所 
60m×90m1650坪程
天皇は 一団上に登り 臣下との差をつけた

そして天皇中心の律令体制を作ろうと した
中国の皇帝のシステムを 都造りや 制度も真似ようとした
その後 数代をかけて 平城京に至る流れ 天皇を中心とした国に造り

天智天皇の時代は モガリが無かった 大嘗祭も無かった? 
そのあとの天武から か

その後794年 桓武かんむ天皇の時代
平安京(京都御所)と 時代は流れていく か
その後 明治維新までも 京都に天皇家はおられた

三種の神器 伊勢神宮に描かれている絵に 三種の神器

代々の 帝でも 見ることが出来ないとされている

即位礼 正殿の儀 (そくいれい せいでんのぎ)

この儀式が 平成の時代の現在でも引き継がれている

その今上陛下が モガリの儀式は もう止めて 火葬にしてくれと国民に
うったえられた

日本人はどこから来たの
天皇制は 何時のころからか

天武天皇が 天皇という呼びかたを させるようになった
モガリも 天武時代から

一段高い 場所に お座りになり始めた時代
白村江の戦争の あと すぐ の時代

飛鳥 明日香



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