東内社長BLOG
高(考)麗天皇は中山神社に お住まい これが1800年前 桓武天皇 空海 東寺 秦氏 真言 お稲荷 これが1200年前 トーナイ超古代 瞑想
投稿日時:2017/02/05(日) 10:26
平安京ができる前の時代から 京都 山背の国には 多くの 秦氏が住み着いていた
….お稲荷さん(秦氏考 百済 新羅 辰韓 伽耶 加羅?)
欽明天皇 新羅 辰韓 雄略天皇 東寺 空海 真言密教全国へ
伏見稲荷大社を創建したと伝えられる秦氏族について、『日本書紀』では次のように書かれている。
欽明天皇が即位(539年または531年)する前のまだ幼少のある日「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、
大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見て、早速方々へ使者を遣わして探し求めたところ、
山背国紀伊郡深草里に秦の大津父がいた。
平安時代に編纂された『新撰姓氏録』記載の諸蕃(渡来および帰化系氏族)のうち約3分の1の多数を占める
「秦氏」の項によれば、中国・秦の始始帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が
仲哀天皇の御代に、
また融通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して朝鮮半島の百済から帰化したという記録があるが、
加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)。
雄略天皇の頃には、当時の国の内外の事情から、多数の渡来人があったことは事実で、とりわけ秦氏族は絹織物の技に秀でており、後の律令国家建設のために大いに役立った
朝廷によって厚遇されていたことがうかがわれるのも、以上の技能を高く買われてのことだと考えられている彼らは畿内の豪族として専門職の地位を与えられていた。
こうして深草の秦氏族は、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして神威赫々たる大神社を建てた。
深草の秦氏族は系譜の上で見る限り、太秦の秦氏族、すなわち松尾大社を祀った秦都理《はたのとり》の弟が、
稲荷社を創建した秦伊呂巨(具)となっており、いわば分家と考えられていたようである。
歴史 (山城国とは昔の京都の事)
『山城国風土記』逸文には、伊奈利社(稲荷社)の縁起として次のような話を載せる。
秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐのはたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。
するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。
そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。
伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀った
また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。
都が平安京に遷されると、
この地を基盤としていた秦氏が政治的な力を持ち、
それにより稲荷神が広く信仰されるようになった。
さらに、
東寺建造の際に秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神とみなされるようになった。
『二十二社本縁』では空海が稲荷神と直接交渉して守護神になってもらったと書かれている。
東寺は、真言密教における荼枳尼天(だきにてん、インドの女神ダーキニー)
稲荷神を習合させ、真言宗が全国に布教される
平安京ができる前の時代から 京都 山背の国には
多くの 秦氏が住み着いていた
秦氏と 空海 東寺 神仏習合 観光地に神社を建てる 人が集る 繁盛する
空海と 和気清麻呂(岡山県が出自の 官僚 平安京の国土交通大臣 道鏡事件)
そして藤原北家の藤原小黒麻呂
真言密教と 神社 東寺の建設に秦氏が協力
この時代 第50代 天皇 桓武かんむ天皇
(天智系 母親は高野新笠=父は和乙継、母は土師はじ真妹。
父方の和氏は百済 武寧王の子孫を称する渡来系氏族で、もとの氏姓は和史(やまとのふひと)。)
この時代に 朝廷は 東北のエニシに侵攻した(アテルイ伝説 清水寺 坂之上の田村麻呂が活躍)
とにかく 全国に神社のチェーン店を展開したのは 秦氏か・・・
その一族 空海とも 深く関わりがあり 吉備の和気清麻呂とも深い ことは確か でして・・
日本の中枢は やはり 渡来系が 殆どなの?
縄文系は どこに居るのだ?
平安京に入った時代でも(1200年前頃)
東北には まだ エニシがおったから・・・全国統一以前
ほんでも そのエニシも 縄文系とは 決め付けることは 駄目だと思うし
まずます迷宮入りしていくよね・・・
大阪市此花区梅町2丁目3-24
http://tohnai.com/top_main.html
?トーナイ
古代から金属を追う一族 バタ屋トーナイ 超古代史
この下は 瞑想
考霊天皇は 中山神社に お住まいだった という
人の ブログにも かなり影響を受けている傾向
中山太神宮を名乗る トーナイ の たわごと ↓
考麗天皇の子どもが吉備津彦(日子)
原文は
大日本根子?太瓊天皇、日本足?國押人天皇太子也。
母曰押媛、蓋天足?國押人命之女乎。
天皇、以日本足?國押人天皇七十六年春正月、立爲皇太子。
百二年春正月、日本足?國押人天皇崩。秋九月甲午朔丙午、葬日本足?國押人天皇于玉手丘上陵。
冬十二月癸亥朔丙寅、皇太子遷都於?田、是謂廬戸宮。
元年春正月壬辰朔癸卯、太子?天皇位。
尊皇后曰皇太后。是年也、太?辛未。
二年春二月丙辰朔丙寅、立細媛命、爲皇后。
一云、春日千乳早山香媛。
一云、十市縣主等祖女眞舌媛也。
后生大日本根子?國牽天皇。
妃倭國香媛亦名絚某姉、生倭迹々日百襲?命・?五十狹芹?命亦名吉備津?命・倭迹々稚屋?命。
亦妃絚某弟、生?狹嶋命・稚武?命。
弟稚武?命、是吉備臣之始祖也。
卅六年春正月己亥朔、立?國牽尊、爲皇太子。
七十六年春二月丙午朔癸丑、天皇崩。
解説は・・・
后は大日本根子?國牽天皇(オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト=孝元天皇)を生みました。
妃の倭國香媛(ヤマトノクニカヒメ…別名を絚某姉【ハヘイロネ】)と、
倭迹々日百襲?命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)
と
?五十狹芹?命(ヒコイサセリビコノミコト…別名を吉備津?命【キビツヒコノミコト】)と
倭迹々稚屋?命(ヤマトトトワカヤヒメノミコト)を生みました。
また別の妃が(上記の皇子と妃の)弟として、生?狹嶋命(ヒコサシマノミコト)と
稚武?命(ワカタケヒコノミコト)を生みました。
稚武?命(ワカタケヒコノミコト)は吉備臣(キビノオミ)の始祖(ハジメノオヤ)です。
古代 天皇の子ども 稚武彦(ワカタケ彦)は 箸墓古墳に眠る ヤマトトトヒモモソ姫の ご兄弟になる
な~んで 吉備の祖が 天皇の お子様なの?
天皇の子ども達を 各地に派遣して 制圧していった のか?
とにかく 稚武彦(ワカタケ彦)は 吉備の祖だと書いてあるんだよね
日本書紀を解釈した人は そう書いている
箸墓古墳が出来た 数10年前の時代のことだ
箸墓古墳が造られる 数10年も前には
多分 ウラが 岡山県一帯(吉備の国)を統治していたのでは なかろうか
ウラ というたら 鬼にされた(戦いがあって 敗れ 鬼にされたのだと思う)
百済から 飛んできた王子が 岡山県に住み着いて 庶民からも 多分 好かれていたような気がする
嗚呼 これは今から1800年ほども 前の超古代史だよ
現代より1800年も前には 瀬戸内の吉備の国は かなりの大きな国だった
前方後円墳が造られ始める 若干 前の年代
ワシ個人的には 吉備の者が 畿内のほうに 行って ヤマト政権を作ったように
空想している
これは 焼物が出土しているから 吉備から 大阪府豊中市 → 奈良県
の ほうに 吉備の土器が 時系列で移動している
石上神宮 下の 天理市 天理参考館の 焼物を見れば解る
天皇のお子様が 吉備の祖だと 書記では 書かれている
2世紀西暦では180年くらいなのか?その辺りから 倭国大乱
コウレイ天皇
ある人によれば コウレイ天皇は ワシの里の 中山神社にお住まいだった
そんな事を書かれているブログも検索にかかってくるのだ
中山神社の 元祖 というか 中山神社(津山市)に
神が落ち着かれる場所を 決められる半年前(五月の午の日 午の刻に)
中山太 ワシの楢原の 東内 の 家に 神が示現したという 話があるので・・・
そやねん 吉備の古代史を調べる人達も ワシの村を調べに何度もきている
インターネットの動画などでも ワシの村 家の事 でてきてるわ・・・
ワシの維持管理している 祠には 大吉備津日子命を 奉っているが
ワシ本人も 意味不明ということもある
そんでも どうも コウレイ天皇の お足跡が 鳥取から 岡山県にかけて
なんぞ そんな匂いがすることは 確かです
東内の 長兄は 此処を守る事をしなければ えらい祟りにあう
というようなカマシも いれられている
津山市の 大きな神社の 中山神社とは 昭和の時代は 東内 に 中山神社から
嫁に来たりもしているところがあるので 明治時代までは 出入りをしていた形跡はあるが 今は 津山の中山神社には ご縁はなくなった
同じく 物語に 出てくる 有木(その昔 有鬼ではなかった か) 有木氏は 津山の中山神社に 今でもご縁が深いようだ
津山市以西の初穂を集めた 有木氏は 広島県辺りまでも 勢力がある
今でも 有木神社も 岡山 広島に 残っていると思う
有木神社には 漢字 以前の なんか 文字のような そんなんも残る
とにかく コウレイ天皇の時代から ワシの先祖は みまさか に 住んでいたという事なら それは 嬉しい
麗 という 字がつくならば 高句麗 の 麗でもあるか
古代の吉備は 出雲とも 近いし 天橋立のあたりからも そう遠くはないし
瀬戸内と日本海は そんなに遠くの距離ではなくて・・・
吉備には 時代 時代に 世界各地から いろんな渡来人がやって来た事は確か
ウラ伝説の ウラは 百済の王子さまやし
ワシは知りたい
2250年前ごろから 1200年ほども
前頃までの 日本の本当の 歴史
それは 無理な ことなのか
….お稲荷さん(秦氏考 百済 新羅 辰韓 伽耶 加羅?)
欽明天皇 新羅 辰韓 雄略天皇 東寺 空海 真言密教全国へ
伏見稲荷大社を創建したと伝えられる秦氏族について、『日本書紀』では次のように書かれている。
欽明天皇が即位(539年または531年)する前のまだ幼少のある日「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、
大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見て、早速方々へ使者を遣わして探し求めたところ、
山背国紀伊郡深草里に秦の大津父がいた。
平安時代に編纂された『新撰姓氏録』記載の諸蕃(渡来および帰化系氏族)のうち約3分の1の多数を占める
「秦氏」の項によれば、中国・秦の始始帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が
仲哀天皇の御代に、
また融通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して朝鮮半島の百済から帰化したという記録があるが、
加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)。
雄略天皇の頃には、当時の国の内外の事情から、多数の渡来人があったことは事実で、とりわけ秦氏族は絹織物の技に秀でており、後の律令国家建設のために大いに役立った
朝廷によって厚遇されていたことがうかがわれるのも、以上の技能を高く買われてのことだと考えられている彼らは畿内の豪族として専門職の地位を与えられていた。
こうして深草の秦氏族は、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして神威赫々たる大神社を建てた。
深草の秦氏族は系譜の上で見る限り、太秦の秦氏族、すなわち松尾大社を祀った秦都理《はたのとり》の弟が、
稲荷社を創建した秦伊呂巨(具)となっており、いわば分家と考えられていたようである。
歴史 (山城国とは昔の京都の事)
『山城国風土記』逸文には、伊奈利社(稲荷社)の縁起として次のような話を載せる。
秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐのはたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。
するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。
そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。
伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀った
また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。
都が平安京に遷されると、
この地を基盤としていた秦氏が政治的な力を持ち、
それにより稲荷神が広く信仰されるようになった。
さらに、
東寺建造の際に秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神とみなされるようになった。
『二十二社本縁』では空海が稲荷神と直接交渉して守護神になってもらったと書かれている。
東寺は、真言密教における荼枳尼天(だきにてん、インドの女神ダーキニー)
稲荷神を習合させ、真言宗が全国に布教される
平安京ができる前の時代から 京都 山背の国には
多くの 秦氏が住み着いていた
秦氏と 空海 東寺 神仏習合 観光地に神社を建てる 人が集る 繁盛する
空海と 和気清麻呂(岡山県が出自の 官僚 平安京の国土交通大臣 道鏡事件)
そして藤原北家の藤原小黒麻呂
真言密教と 神社 東寺の建設に秦氏が協力
この時代 第50代 天皇 桓武かんむ天皇
(天智系 母親は高野新笠=父は和乙継、母は土師はじ真妹。
父方の和氏は百済 武寧王の子孫を称する渡来系氏族で、もとの氏姓は和史(やまとのふひと)。)
この時代に 朝廷は 東北のエニシに侵攻した(アテルイ伝説 清水寺 坂之上の田村麻呂が活躍)
とにかく 全国に神社のチェーン店を展開したのは 秦氏か・・・
その一族 空海とも 深く関わりがあり 吉備の和気清麻呂とも深い ことは確か でして・・
日本の中枢は やはり 渡来系が 殆どなの?
縄文系は どこに居るのだ?
平安京に入った時代でも(1200年前頃)
東北には まだ エニシがおったから・・・全国統一以前
ほんでも そのエニシも 縄文系とは 決め付けることは 駄目だと思うし
まずます迷宮入りしていくよね・・・
大阪市此花区梅町2丁目3-24
http://tohnai.com/top_main.html
?トーナイ
古代から金属を追う一族 バタ屋トーナイ 超古代史
この下は 瞑想
考霊天皇は 中山神社に お住まいだった という
人の ブログにも かなり影響を受けている傾向
中山太神宮を名乗る トーナイ の たわごと ↓
考麗天皇の子どもが吉備津彦(日子)
原文は
大日本根子?太瓊天皇、日本足?國押人天皇太子也。
母曰押媛、蓋天足?國押人命之女乎。
天皇、以日本足?國押人天皇七十六年春正月、立爲皇太子。
百二年春正月、日本足?國押人天皇崩。秋九月甲午朔丙午、葬日本足?國押人天皇于玉手丘上陵。
冬十二月癸亥朔丙寅、皇太子遷都於?田、是謂廬戸宮。
元年春正月壬辰朔癸卯、太子?天皇位。
尊皇后曰皇太后。是年也、太?辛未。
二年春二月丙辰朔丙寅、立細媛命、爲皇后。
一云、春日千乳早山香媛。
一云、十市縣主等祖女眞舌媛也。
后生大日本根子?國牽天皇。
妃倭國香媛亦名絚某姉、生倭迹々日百襲?命・?五十狹芹?命亦名吉備津?命・倭迹々稚屋?命。
亦妃絚某弟、生?狹嶋命・稚武?命。
弟稚武?命、是吉備臣之始祖也。
卅六年春正月己亥朔、立?國牽尊、爲皇太子。
七十六年春二月丙午朔癸丑、天皇崩。
解説は・・・
后は大日本根子?國牽天皇(オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト=孝元天皇)を生みました。
妃の倭國香媛(ヤマトノクニカヒメ…別名を絚某姉【ハヘイロネ】)と、
倭迹々日百襲?命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)
と
?五十狹芹?命(ヒコイサセリビコノミコト…別名を吉備津?命【キビツヒコノミコト】)と
倭迹々稚屋?命(ヤマトトトワカヤヒメノミコト)を生みました。
また別の妃が(上記の皇子と妃の)弟として、生?狹嶋命(ヒコサシマノミコト)と
稚武?命(ワカタケヒコノミコト)を生みました。
稚武?命(ワカタケヒコノミコト)は吉備臣(キビノオミ)の始祖(ハジメノオヤ)です。
古代 天皇の子ども 稚武彦(ワカタケ彦)は 箸墓古墳に眠る ヤマトトトヒモモソ姫の ご兄弟になる
な~んで 吉備の祖が 天皇の お子様なの?
天皇の子ども達を 各地に派遣して 制圧していった のか?
とにかく 稚武彦(ワカタケ彦)は 吉備の祖だと書いてあるんだよね
日本書紀を解釈した人は そう書いている
箸墓古墳が出来た 数10年前の時代のことだ
箸墓古墳が造られる 数10年も前には
多分 ウラが 岡山県一帯(吉備の国)を統治していたのでは なかろうか
ウラ というたら 鬼にされた(戦いがあって 敗れ 鬼にされたのだと思う)
百済から 飛んできた王子が 岡山県に住み着いて 庶民からも 多分 好かれていたような気がする
嗚呼 これは今から1800年ほども 前の超古代史だよ
現代より1800年も前には 瀬戸内の吉備の国は かなりの大きな国だった
前方後円墳が造られ始める 若干 前の年代
ワシ個人的には 吉備の者が 畿内のほうに 行って ヤマト政権を作ったように
空想している
これは 焼物が出土しているから 吉備から 大阪府豊中市 → 奈良県
の ほうに 吉備の土器が 時系列で移動している
石上神宮 下の 天理市 天理参考館の 焼物を見れば解る
天皇のお子様が 吉備の祖だと 書記では 書かれている
2世紀西暦では180年くらいなのか?その辺りから 倭国大乱
コウレイ天皇
ある人によれば コウレイ天皇は ワシの里の 中山神社にお住まいだった
そんな事を書かれているブログも検索にかかってくるのだ
中山神社の 元祖 というか 中山神社(津山市)に
神が落ち着かれる場所を 決められる半年前(五月の午の日 午の刻に)
中山太 ワシの楢原の 東内 の 家に 神が示現したという 話があるので・・・
そやねん 吉備の古代史を調べる人達も ワシの村を調べに何度もきている
インターネットの動画などでも ワシの村 家の事 でてきてるわ・・・
ワシの維持管理している 祠には 大吉備津日子命を 奉っているが
ワシ本人も 意味不明ということもある
そんでも どうも コウレイ天皇の お足跡が 鳥取から 岡山県にかけて
なんぞ そんな匂いがすることは 確かです
東内の 長兄は 此処を守る事をしなければ えらい祟りにあう
というようなカマシも いれられている
津山市の 大きな神社の 中山神社とは 昭和の時代は 東内 に 中山神社から
嫁に来たりもしているところがあるので 明治時代までは 出入りをしていた形跡はあるが 今は 津山の中山神社には ご縁はなくなった
同じく 物語に 出てくる 有木(その昔 有鬼ではなかった か) 有木氏は 津山の中山神社に 今でもご縁が深いようだ
津山市以西の初穂を集めた 有木氏は 広島県辺りまでも 勢力がある
今でも 有木神社も 岡山 広島に 残っていると思う
有木神社には 漢字 以前の なんか 文字のような そんなんも残る
とにかく コウレイ天皇の時代から ワシの先祖は みまさか に 住んでいたという事なら それは 嬉しい
麗 という 字がつくならば 高句麗 の 麗でもあるか
古代の吉備は 出雲とも 近いし 天橋立のあたりからも そう遠くはないし
瀬戸内と日本海は そんなに遠くの距離ではなくて・・・
吉備には 時代 時代に 世界各地から いろんな渡来人がやって来た事は確か
ウラ伝説の ウラは 百済の王子さまやし
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2250年前ごろから 1200年ほども
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それは 無理な ことなのか
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