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美作一宮は中山神社(津山市)集客力は 福力荒神社(スサノウ)出雲タタラの始まり古事記の神話 中山太神宮金属を古代まで追うモノ

投稿日時:2017/02/26(日) 22:26

岡山県 東北部の市町村人口

スサノオウ を祀る 福力荒神社 周辺

津山市10万2000人

勝央町1万1千人

美作市2万7000人

美咲町1万4000人(元は 柵原鉱山の周辺)

奈義町(那岐山の下 陸上自衛隊含む)5800人

単線の姫新線が 1両で走る 岡山の山の中

此処の福力の 神社の祭りに 10万人の来場がある



美作の国の一宮は中山神社だが トーナイ五矛立て祠と中山神社の 丁度 道中の真中に位置する

姫新線大崎駅より北 100mの福力荒神社の集客力は 凄いのだ



周辺の人口の 16万人中で10万人を集める集客力

此処の社の歴史は600年と浅いが、スサノオを祀っている



京都 八坂神社なども同様に祀る 

スサノオウ スサの王 と 読んでも差し支えないだろう



岡山県

中山太神宮の子孫である 東内 誠です

http://tohnai.com/top_main.html ?トーナイ



大吉備津日子ミコトを 奉っているようで

実は 出雲を祠に隠しているのではなかろうか?

隠れ出雲かも 知れんな~



村の年寄りが昔に言ったには

近代までは 東内 の家が 福力の あの大きな祭りの 何かの 鍵を

ワシの先祖が持っていて それは開けていた という



そんで日曜日の朝から その 社に行ってみようと思って寄ってきた



たまたま 氏子総代のかたなども 3人か 宮におられて 色色とお聞きしてきた



その3人のうちの1人は 東内 から 昔に嫁にきています というておられたなあ

総代の方は その歴史に関してはご存知ではなかった



英田郡史や 作陽史 中山神社史 などの詳細までも読みこなしておられる方は

そうはおられない

まあ、丁寧なご対応を80数歳の ご立派そうな方々にして頂いた



宮司が常駐していない宮の大祭に 

しかし10万人をウイークデイに 参ってもらうには

日ごろから 並大抵の 努力ではないだろう ご苦労様でございますと御礼は言って帰った



この 福力の 宮 地は 多分 もっと 昔は 北のほうだった みたいです



そんで この宮の元祖は もっと千年以上も 前から 存在していたのでは なかろうかと空想する



奥出雲の なんとか という 川 その地の 砂がご利益らしくて 大売れみたいだ

スサノオの川 ヤマタノオロチ 古事記の 出雲神話だよ

斐伊川 - Wikipedia

ひい川 スサノオ伝説の川

タタラ製鉄の始まりは 出雲の近く



東内誠の 中山太神宮から 出雲街道を150km 西にいけば タタラ製鉄の日本の元祖 奥出雲

出雲街道を トーナイ中山太 から 150km 東にいけば 大阪城でも 奈良市とでも 言える



中山神社と 福力神社 と 美作三宮 天石門ワケ神社もしくは八塔寺の古代 鉄製錬場所は直線で
その直線のその先は 多分 兵庫県赤穂(その昔は備前の国)の福浦 ふくうら の港になろうか

そんな 勘 と いうか イメージ



ヤマタノオロチを退治した

スサノオは 製鉄 タタラの 話しが神話になったかも 知れん



そんで 赤穂の川を 遡れば 播磨風土記に出てくる 讃溶 さよう その川上は 平福

平福は 戦国時代では

黒田官兵衛をも 苦しめ、恐がらせた赤松氏の拠点

赤松氏は赤穂市までも影響していた

と 空想

福が よく 地名に出てくる



播磨風土記では ワケの犬が 佐用で 鉱山を多数 見つけた と ある



悲しい事に 出雲風土記や播磨風土記は 残っているが

吉備や備前 みまさか の 風土記は 御上の都合で 消し去られていると 思う



吉備の国の 歴史が表に出てくれば それは日本の偉い人が

困るのでは なかろうか



出雲のタタラ製鉄の 古代史を調べる必要がある 2000年もまえからなのか?

それとも1500年ほども前のことか

スサノウも関係していると なると 糸を解くのは 簡単ではないぞ

岡山県北部は 出雲にも影響を受けている スサノウを上の様に祀っているからねえ



なんで ワシのような貧しい百姓の 先祖を持つモノが

なんで 岡山県の神社に これほどに関わってきているか 解らんな~



田舎の 過疎地域の市町村の 福力の祭りに なんで 此れほどの人々が集うのだ?



16万人の人口で10万が集う ということは ものすごいのじゃ

なんで その宮の鍵を ワシの先祖が関係しとるのかも 意味不明やなあ



宮の下働き程度は させて貰っていたことは確かじゃ



家柄が 数世代も 低いので そんなことしか 言えないねえ

今日 出て来られた 総代の方は 県議会の偉い様の 親族のようだったねえ



そりゃあ 江戸時代などでは 士族の お家ガラの立派な おひとかも 知れんな~



しかし 武士は そもそも 殺戮もせなばならない 戦闘員という身分にもなるのだ

戦闘員も汚れる 穢れる と 言えば 穢れる職種にも なるのだけれどね

吉備の古代史は 超奥が深いのだ

欠史8代かの 大王様の 数人は 吉備のモノ では なかろうか と空想しております



崇神は 中山神社が お住まいだった などと ネットに書き込んでいる人もいてるし

岡山県津山市の 鏡つくり尊 中山 神社 鏡を作ったのは 伊勢神宮の鏡かも 知れんぞ

伊勢神宮の鏡は 三種の神器 やからな~

出雲から 岡山に向って 前方後円墳の初期のモノ が 移動している それは 確かな事なの

それがね 金属製錬の 流れというか それにも 一致しとる と思うのだ

中山太神宮 トーナイ

現代では 落ちぶれてしまって 大阪港に巣食う 金属屑商バタ屋トーナイ  東内 誠



ちなみに 岡山県の人口は 今191万人である

今から2000年前も この土地は 多くの民族が集ってきました それは何でか そこに金属の山と 豊富な森林資源がある

タタラには 熱源がないとならんし 鉄鉱石も出ないとアカンやろ そういった場所に 金属を奪い合う人々が集る

そこを 武力と 祈祷力の強い ボスが 王になったのだ

http://tohnai.com/top_main.html ?トーナイ

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