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ブログ 2015/8/13
金属を追う和気(別け)の犬 キビから出雲から 畿内に移動した1750年ほども前に 現代も中華と金属を追う[GOO日々更新 東内誠 相場 歴史などのブログ]
投稿日時:2015/08/13(木) 06:22
岡山県の歴史 トーナイの故郷
岡山県に生まれていても岡山のことで知らない事も多い
岡山県東部を流れる 吉井川 この川は何時の時代から 吉井川と呼ばれたのか
調べていくと吉井川と呼んだのは
明治時代以降だったな~
これは間違いない
国土交通省のHPから 調べたら そう書いてある
そうか まだ150年ほどしか 吉井川とは言わなかった
知らんことが多い
古代史で備前国 みまさか国を調べている割には
東内誠は 知らんことが多い
昔は 旭川を 西の大川
吉井川を 東の大川 と 称したか
その源流から(川上)から 奥津川 津山川
そんで今のミマサカ市 旧英田町の
合流地帯付近から
スサイ川
スサだよ スサノオのスサ その下を和気川と呼んだか
この現在の呼び名 吉井川は 岡山県下では 最初に 流域の開発が行われた と 国土交通省は書いている
その流域開発は 今から1700年以上前とある
西暦250年あたりから この 備前の河川は開発された
此の川を 高瀬船なども利用した時代もあっただろう
此の河川は 出雲と畿内との 交通路だった
吉井川は 岡山県北部から 流れ出て
最後は瀬戸内の 西大寺あたりに 出て行く
途中で 和気町から
備前の港のほうにも 出られたと思う
和気清麻呂公は 岡山県 和気町の出だが
京都に平安京を造る 責任者の一人であり(西暦700年台) 吉井川の水運をよく 知っていたので それを京都の都の建設にも利用したと僕は空想してる
吉井川の水運が 利用され始めたのが とても 古くからの1750年前で
平安京建設は1200年前やから そうなる
奈良県の歴史も それは 古いが
もっと古いのが 吉備の国だから そうなる
岡山県や島根県が 前方後円墳というんかな
その原型が始まった場所ともされているから
それは 古いんだ
埴輪の 元祖も 出雲や吉備が
どうも元祖ということもあってね
この焼物も その後 大阪府豊中市のほうに 移動していっている 庄内式土器
これは備前のほうから伝わったと想定している
それは 豊中市の歴史に詳しい人でも そう考えておられると思う
https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunkazai/column/koramutoyonaka01syo.html
上のリンクは豊中市HPだがそれは豊中市も認めている
そんで その時代の庄内式土器は 今で言う 日本の炊飯ジャーみたいなものだった
中国人が旅行に来て 日本製の 炊飯器を買って帰っているでしょう それと一緒
1800-1700年前に 備前 キビの国から
東に豊中市
そして 大阪 奈良に 土器の最新技術は移動した
備前の いんべ焼きや
インベ瓦も そうじゃし
今時は 備前焼という
忌部 とは 書かないが インベ焼きだ
インベとは 今の日本人の苗字なら 藤 とか 斎 斉 とかの苗字になるか
忌部氏 というたら その昔からの 祭祀を行う系統で
今時の苗字なら 齋藤とか 斎藤 とかいう苗字や
忌む という 漢字は 葬儀の時の 忌なので その忌むは苗字には 今では使わない傾向かな?
ワシな 吉井川の 津山市からとミマサカ市からの合流の辺りから 少し 東へ 行ったところの
天石門ワケ神社 美作瀧の宮 飛騨の滝宮
あそこは 忌部氏の 匂いが 非常に強く感じるん
此の神社の由緒から 此処を ワシは2000年間動いたことは無い と言うておるんじゃ
この神社というか 磐山の神さんは日本最古級だと思う
吉備津彦 四道将軍が 来る以前の年代から おるかも知れんぞ
ワシがネットで これを書くので 行く耽美に この山の神社に行く人が 増えてきている と感じるんだ
けっこうに参拝者が 増えているように思う
ほんでも あそこは賽銭泥棒が入るので これには困ったもんじゃ
ここの賽銭を盗む奴は 絶対に許せんな~
バチがあたるで この盗人め
しかし この山の祠は ヒシヒシと霊気が満杯の場所だ
ワシらの先祖は その昔から この吉野川の周辺から 兵庫県側の 揖保川というんか あの周辺の山や谷の中を 石を探して彷徨った 徘徊したと思うわ
石や
鉄分や銅分を多く含んだ石や
ミマサカ市では 昔 金も出たと思う
そのスサイの柵原鉱山は 昭和の時代か
その時代は
日本では最大級の 鉄の鉱山だった
しかし それは近年の時代でな
鉄は たぶん1700-1800年前も出たと思うわ
此の前 田舎に帰ったときに
分家のテッチャンが言うてた マコちゃん所の 池の上の山の茶畑の辺りにも 坑道の跡がある
と言うてたな~
マコちゃん というたら ワシのことや
これを見て 楢原上の神宿の山の坑道には 入ったらあかんで
縦穴もあるので 落ちたら死ぬし
穴に入って酸素が切れたら
そりゃ ほんまに 死ぬからな
ワシら幼い時に探検隊をするときは
ロウソクかタイマツ持って入ってた覚えがある
コウモリもようけ 住んでいるのでな コウモリの糞だらけやで 長靴も必要じゃし
あのな 焼物と鉱山は関係するんや
同じように熱処理をするやろ
とにかく そんな石が昔は出たのでな 備前 キビに渡来人が あちこちから
金属を求めてやってきた と思うわ
突厥や ユダヤのほうから
来た様な人も 金属製錬の技を知っていたんじゃ と思うな
そんで 和気の清麻呂は
空海が 遣唐使で行く時も
たぶん 清麻呂や藤原何がしが 影で支援したと思う
空海は 四国の出だが 空海の先祖は 岡山にも ご縁の深い 渡来系の先祖だと思う
そや~ 空海も 温泉とか 鉱山とかに かなり関わっているというか そんな学問も知っていた
あんた 空海を知らんのんか 空海は知ってるやろ
弘法太子こうぼうだいし空海 真言宗しんごん や
なむだい しへんじょう こんごう や
天皇家は 神職であらされるが 勿論 ご仏壇もあり
お寺も もちろん ある
朝廷は 御室派になるんかな~
確実では ないが
仁和寺や
ワシら東内も ニンナジやけどな
仁和寺を知らないか それは あかんな~
京都の仁和寺を知らないと話にならんな~
あそこに いけば ご皇室の部屋も見ることができる場所
まあ そんな事を言っている このワシも仏教に詳しくは無い
そや 昨日812は 親戚のことで 大阪府松原市の 叔父の墓を訪ねて ここは 一向宗やったな
一向宗というのは
東と 西があるんか
叔父は西本願寺やった
松原市の天美の駅の 所に すごい古い墓を持ってる
道田の家も けっこう 古いことが解った
この叔父は28年前に死んだが
叔母が 子供が居ないので 東内の家から出た叔母だが 子どもが居ない場合は 長兄の長男のワシが面倒をみないとあかん掟なので もう10年数年 ワシの責任下になっているんじゃ
そんな事もあって 叔母の最後も近くて 調べないと 一向宗の葬儀も知らんし
調べておかんと 死んだわ 違う宗派に 葬儀を出してもらうとかでは 義理が悪いしさ
西本願寺と 東本願寺はまったく違う らしい
ややっこしい
一向宗 というたら
一向一揆とか あったあの一向宗か
NHKの軍師官兵衛 でも 一向宗も門徒が 困った場面があった
官兵衛の 部下も一向宗の門徒がその間離れていった
それは 信長が比叡山を焼き殺したから なのか?
今から その時代は400年以上も前か・・・
ワシの里のすぐ東 西の高野山とも言われた
佐用郡から
上月城の 上のほうの 西の高野山の 付近も
豊臣秀吉の上月城攻めで たぶん 焼かれてしまった と思う
此のあたりは 佐用から 上月は 元々
赤松氏の支配の時代が長かったと思う
赤穂浪士の 赤穂市は 元は 赤松の出自じゃないかと空想してる
ココラも 元々は吉備の国だった
県境などは あいまいだった と空想
さよう 讃用 と昔は書いたのだ
讃岐の讃や
この讃用 別けの犬が 鉱山を探した場所でもある
これは
播磨風土記に出てくるので
ワケの犬が 古代史に出てくる 証明や
この 美作の西 サヨウ ここの山の谷の多くに
鉱物資源を見つけた それが 別けの犬じゃ
備前・みまさか の 山の一角じゃ
楢原 トーナイの家から 東へ20kmほど
そんで 楢原の隣村が平福で
讃用にも 平福と言う場所があって
そこは 後の時代には 赤松氏の元祖拠点だった
その時代では
黒田官兵衛も 赤松が怖かったんだ
赤松は 鬼のような戦い方をする 恐い男じゃ
赤松氏も 元は 別けの犬の子孫かも知れんな~
http://tohnai.com/top_main.html
岡山県に生まれていても岡山のことで知らない事も多い
岡山県東部を流れる 吉井川 この川は何時の時代から 吉井川と呼ばれたのか
調べていくと吉井川と呼んだのは
明治時代以降だったな~
これは間違いない
国土交通省のHPから 調べたら そう書いてある
そうか まだ150年ほどしか 吉井川とは言わなかった
知らんことが多い
古代史で備前国 みまさか国を調べている割には
東内誠は 知らんことが多い
昔は 旭川を 西の大川
吉井川を 東の大川 と 称したか
その源流から(川上)から 奥津川 津山川
そんで今のミマサカ市 旧英田町の
合流地帯付近から
スサイ川
スサだよ スサノオのスサ その下を和気川と呼んだか
この現在の呼び名 吉井川は 岡山県下では 最初に 流域の開発が行われた と 国土交通省は書いている
その流域開発は 今から1700年以上前とある
西暦250年あたりから この 備前の河川は開発された
此の川を 高瀬船なども利用した時代もあっただろう
此の河川は 出雲と畿内との 交通路だった
吉井川は 岡山県北部から 流れ出て
最後は瀬戸内の 西大寺あたりに 出て行く
途中で 和気町から
備前の港のほうにも 出られたと思う
和気清麻呂公は 岡山県 和気町の出だが
京都に平安京を造る 責任者の一人であり(西暦700年台) 吉井川の水運をよく 知っていたので それを京都の都の建設にも利用したと僕は空想してる
吉井川の水運が 利用され始めたのが とても 古くからの1750年前で
平安京建設は1200年前やから そうなる
奈良県の歴史も それは 古いが
もっと古いのが 吉備の国だから そうなる
岡山県や島根県が 前方後円墳というんかな
その原型が始まった場所ともされているから
それは 古いんだ
埴輪の 元祖も 出雲や吉備が
どうも元祖ということもあってね
この焼物も その後 大阪府豊中市のほうに 移動していっている 庄内式土器
これは備前のほうから伝わったと想定している
それは 豊中市の歴史に詳しい人でも そう考えておられると思う
https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunkazai/column/koramutoyonaka01syo.html
上のリンクは豊中市HPだがそれは豊中市も認めている
そんで その時代の庄内式土器は 今で言う 日本の炊飯ジャーみたいなものだった
中国人が旅行に来て 日本製の 炊飯器を買って帰っているでしょう それと一緒
1800-1700年前に 備前 キビの国から
東に豊中市
そして 大阪 奈良に 土器の最新技術は移動した
備前の いんべ焼きや
インベ瓦も そうじゃし
今時は 備前焼という
忌部 とは 書かないが インベ焼きだ
インベとは 今の日本人の苗字なら 藤 とか 斎 斉 とかの苗字になるか
忌部氏 というたら その昔からの 祭祀を行う系統で
今時の苗字なら 齋藤とか 斎藤 とかいう苗字や
忌む という 漢字は 葬儀の時の 忌なので その忌むは苗字には 今では使わない傾向かな?
ワシな 吉井川の 津山市からとミマサカ市からの合流の辺りから 少し 東へ 行ったところの
天石門ワケ神社 美作瀧の宮 飛騨の滝宮
あそこは 忌部氏の 匂いが 非常に強く感じるん
此の神社の由緒から 此処を ワシは2000年間動いたことは無い と言うておるんじゃ
この神社というか 磐山の神さんは日本最古級だと思う
吉備津彦 四道将軍が 来る以前の年代から おるかも知れんぞ
ワシがネットで これを書くので 行く耽美に この山の神社に行く人が 増えてきている と感じるんだ
けっこうに参拝者が 増えているように思う
ほんでも あそこは賽銭泥棒が入るので これには困ったもんじゃ
ここの賽銭を盗む奴は 絶対に許せんな~
バチがあたるで この盗人め
しかし この山の祠は ヒシヒシと霊気が満杯の場所だ
ワシらの先祖は その昔から この吉野川の周辺から 兵庫県側の 揖保川というんか あの周辺の山や谷の中を 石を探して彷徨った 徘徊したと思うわ
石や
鉄分や銅分を多く含んだ石や
ミマサカ市では 昔 金も出たと思う
そのスサイの柵原鉱山は 昭和の時代か
その時代は
日本では最大級の 鉄の鉱山だった
しかし それは近年の時代でな
鉄は たぶん1700-1800年前も出たと思うわ
此の前 田舎に帰ったときに
分家のテッチャンが言うてた マコちゃん所の 池の上の山の茶畑の辺りにも 坑道の跡がある
と言うてたな~
マコちゃん というたら ワシのことや
これを見て 楢原上の神宿の山の坑道には 入ったらあかんで
縦穴もあるので 落ちたら死ぬし
穴に入って酸素が切れたら
そりゃ ほんまに 死ぬからな
ワシら幼い時に探検隊をするときは
ロウソクかタイマツ持って入ってた覚えがある
コウモリもようけ 住んでいるのでな コウモリの糞だらけやで 長靴も必要じゃし
あのな 焼物と鉱山は関係するんや
同じように熱処理をするやろ
とにかく そんな石が昔は出たのでな 備前 キビに渡来人が あちこちから
金属を求めてやってきた と思うわ
突厥や ユダヤのほうから
来た様な人も 金属製錬の技を知っていたんじゃ と思うな
そんで 和気の清麻呂は
空海が 遣唐使で行く時も
たぶん 清麻呂や藤原何がしが 影で支援したと思う
空海は 四国の出だが 空海の先祖は 岡山にも ご縁の深い 渡来系の先祖だと思う
そや~ 空海も 温泉とか 鉱山とかに かなり関わっているというか そんな学問も知っていた
あんた 空海を知らんのんか 空海は知ってるやろ
弘法太子こうぼうだいし空海 真言宗しんごん や
なむだい しへんじょう こんごう や
天皇家は 神職であらされるが 勿論 ご仏壇もあり
お寺も もちろん ある
朝廷は 御室派になるんかな~
確実では ないが
仁和寺や
ワシら東内も ニンナジやけどな
仁和寺を知らないか それは あかんな~
京都の仁和寺を知らないと話にならんな~
あそこに いけば ご皇室の部屋も見ることができる場所
まあ そんな事を言っている このワシも仏教に詳しくは無い
そや 昨日812は 親戚のことで 大阪府松原市の 叔父の墓を訪ねて ここは 一向宗やったな
一向宗というのは
東と 西があるんか
叔父は西本願寺やった
松原市の天美の駅の 所に すごい古い墓を持ってる
道田の家も けっこう 古いことが解った
この叔父は28年前に死んだが
叔母が 子供が居ないので 東内の家から出た叔母だが 子どもが居ない場合は 長兄の長男のワシが面倒をみないとあかん掟なので もう10年数年 ワシの責任下になっているんじゃ
そんな事もあって 叔母の最後も近くて 調べないと 一向宗の葬儀も知らんし
調べておかんと 死んだわ 違う宗派に 葬儀を出してもらうとかでは 義理が悪いしさ
西本願寺と 東本願寺はまったく違う らしい
ややっこしい
一向宗 というたら
一向一揆とか あったあの一向宗か
NHKの軍師官兵衛 でも 一向宗も門徒が 困った場面があった
官兵衛の 部下も一向宗の門徒がその間離れていった
それは 信長が比叡山を焼き殺したから なのか?
今から その時代は400年以上も前か・・・
ワシの里のすぐ東 西の高野山とも言われた
佐用郡から
上月城の 上のほうの 西の高野山の 付近も
豊臣秀吉の上月城攻めで たぶん 焼かれてしまった と思う
此のあたりは 佐用から 上月は 元々
赤松氏の支配の時代が長かったと思う
赤穂浪士の 赤穂市は 元は 赤松の出自じゃないかと空想してる
ココラも 元々は吉備の国だった
県境などは あいまいだった と空想
さよう 讃用 と昔は書いたのだ
讃岐の讃や
この讃用 別けの犬が 鉱山を探した場所でもある
これは
播磨風土記に出てくるので
ワケの犬が 古代史に出てくる 証明や
この 美作の西 サヨウ ここの山の谷の多くに
鉱物資源を見つけた それが 別けの犬じゃ
備前・みまさか の 山の一角じゃ
楢原 トーナイの家から 東へ20kmほど
そんで 楢原の隣村が平福で
讃用にも 平福と言う場所があって
そこは 後の時代には 赤松氏の元祖拠点だった
その時代では
黒田官兵衛も 赤松が怖かったんだ
赤松は 鬼のような戦い方をする 恐い男じゃ
赤松氏も 元は 別けの犬の子孫かも知れんな~
http://tohnai.com/top_main.html
金属を追う和気(別け)の犬 キビから出雲から 畿内に移動した1750年ほども前に 現代も中華と金属を追う[東内社長BLOG]
投稿日時:2015/08/13(木) 06:22
岡山県の歴史 トーナイの故郷
岡山県に生まれていても岡山のことで知らない事も多い
岡山県東部を流れる 吉井川 この川は何時の時代から 吉井川と呼ばれたのか
調べていくと吉井川と呼んだのは
明治時代以降だったな~
これは間違いない
国土交通省のHPから 調べたら そう書いてある
そうか まだ150年ほどしか 吉井川とは言わなかった
知らんことが多い
古代史で備前国 みまさか国を調べている割には
東内誠は 知らんことが多い
昔は 旭川を 西の大川
吉井川を 東の大川 と 称したか
その源流から(川上)から 奥津川 津山川
そんで今のミマサカ市 旧英田町の
合流地帯付近から
スサイ川
スサだよ スサノオのスサ その下を和気川と呼んだか
この現在の呼び名 吉井川は 岡山県下では 最初に 流域の開発が行われた と 国土交通省は書いている
その流域開発は 今から1700年以上前とある
西暦250年あたりから この 備前の河川は開発された
此の川を 高瀬船なども利用した時代もあっただろう
此の河川は 出雲と畿内との 交通路だった
吉井川は 岡山県北部から 流れ出て
最後は瀬戸内の 西大寺あたりに 出て行く
途中で 和気町から
備前の港のほうにも 出られたと思う
和気清麻呂公は 岡山県 和気町の出だが
京都に平安京を造る 責任者の一人であり(西暦700年台) 吉井川の水運をよく 知っていたので それを京都の都の建設にも利用したと僕は空想してる
吉井川の水運が 利用され始めたのが とても 古くからの1750年前で
平安京建設は1200年前やから そうなる
奈良県の歴史も それは 古いが
もっと古いのが 吉備の国だから そうなる
岡山県や島根県が 前方後円墳というんかな
その原型が始まった場所ともされているから
それは 古いんだ
埴輪の 元祖も 出雲や吉備が
どうも元祖ということもあってね
この焼物も その後 大阪府豊中市のほうに 移動していっている 庄内式土器
これは備前のほうから伝わったと想定している
それは 豊中市の歴史に詳しい人でも そう考えておられると思う
https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunkazai/column/koramutoyonaka01syo.html
上のリンクは豊中市HPだがそれは豊中市も認めている
そんで その時代の庄内式土器は 今で言う 日本の炊飯ジャーみたいなものだった
中国人が旅行に来て 日本製の 炊飯器を買って帰っているでしょう それと一緒
1800-1700年前に 備前 キビの国から
東に豊中市
そして 大阪 奈良に 土器の最新技術は移動した
備前の いんべ焼きや
インベ瓦も そうじゃし
今時は 備前焼という
忌部 とは 書かないが インベ焼きだ
インベとは 今の日本人の苗字なら 藤 とか 斎 斉 とかの苗字になるか
忌部氏 というたら その昔からの 祭祀を行う系統で
今時の苗字なら 齋藤とか 斎藤 とかいう苗字や
忌む という 漢字は 葬儀の時の 忌なので その忌むは苗字には 今では使わない傾向かな?
ワシな 吉井川の 津山市からとミマサカ市からの合流の辺りから 少し 東へ 行ったところの
天石門ワケ神社 美作瀧の宮 飛騨の滝宮
あそこは 忌部氏の 匂いが 非常に強く感じるん
此の神社の由緒から 此処を ワシは2000年間動いたことは無い と言うておるんじゃ
この神社というか 磐山の神さんは日本最古級だと思う
吉備津彦 四道将軍が 来る以前の年代から おるかも知れんぞ
ワシがネットで これを書くので 行く耽美に この山の神社に行く人が 増えてきている と感じるんだ
けっこうに参拝者が 増えているように思う
ほんでも あそこは賽銭泥棒が入るので これには困ったもんじゃ
ここの賽銭を盗む奴は 絶対に許せんな~
バチがあたるで この盗人め
しかし この山の祠は ヒシヒシと霊気が満杯の場所だ
ワシらの先祖は その昔から この吉野川の周辺から 兵庫県側の 揖保川というんか あの周辺の山や谷の中を 石を探して彷徨った 徘徊したと思うわ
石や
鉄分や銅分を多く含んだ石や
ミマサカ市では 昔 金も出たと思う
そのスサイの柵原鉱山は 昭和の時代か
その時代は
日本では最大級の 鉄の鉱山だった
しかし それは近年の時代でな
鉄は たぶん1700-1800年前も出たと思うわ
此の前 田舎に帰ったときに
分家のテッチャンが言うてた マコちゃん所の 池の上の山の茶畑の辺りにも 坑道の跡がある
と言うてたな~
マコちゃん というたら ワシのことや
これを見て 楢原上の神宿の山の坑道には 入ったらあかんで
縦穴もあるので 落ちたら死ぬし
穴に入って酸素が切れたら
そりゃ ほんまに 死ぬからな
ワシら幼い時に探検隊をするときは
ロウソクかタイマツ持って入ってた覚えがある
コウモリもようけ 住んでいるのでな コウモリの糞だらけやで 長靴も必要じゃし
あのな 焼物と鉱山は関係するんや
同じように熱処理をするやろ
とにかく そんな石が昔は出たのでな 備前 キビに渡来人が あちこちから
金属を求めてやってきた と思うわ
突厥や ユダヤのほうから
来た様な人も 金属製錬の技を知っていたんじゃ と思うな
そんで 和気の清麻呂は
空海が 遣唐使で行く時も
たぶん 清麻呂や藤原何がしが 影で支援したと思う
空海は 四国の出だが 空海の先祖は 岡山にも ご縁の深い 渡来系の先祖だと思う
そや~ 空海も 温泉とか 鉱山とかに かなり関わっているというか そんな学問も知っていた
あんた 空海を知らんのんか 空海は知ってるやろ
弘法太子こうぼうだいし空海 真言宗しんごん や
なむだい しへんじょう こんごう や
天皇家は 神職であらされるが 勿論 ご仏壇もあり
お寺も もちろん ある
朝廷は 御室派になるんかな~
確実では ないが
仁和寺や
ワシら東内も ニンナジやけどな
仁和寺を知らないか それは あかんな~
京都の仁和寺を知らないと話にならんな~
あそこに いけば ご皇室の部屋も見ることができる場所
まあ そんな事を言っている このワシも仏教に詳しくは無い
そや 昨日812は 親戚のことで 大阪府松原市の 叔父の墓を訪ねて ここは 一向宗やったな
一向宗というのは
東と 西があるんか
叔父は西本願寺やった
松原市の天美の駅の 所に すごい古い墓を持ってる
道田の家も けっこう 古いことが解った
この叔父は28年前に死んだが
叔母が 子供が居ないので 東内の家から出た叔母だが 子どもが居ない場合は 長兄の長男のワシが面倒をみないとあかん掟なので もう10年数年 ワシの責任下になっているんじゃ
そんな事もあって 叔母の最後も近くて 調べないと 一向宗の葬儀も知らんし
調べておかんと 死んだわ 違う宗派に 葬儀を出してもらうとかでは 義理が悪いしさ
西本願寺と 東本願寺はまったく違う らしい
ややっこしい
一向宗 というたら
一向一揆とか あったあの一向宗か
NHKの軍師官兵衛 でも 一向宗も門徒が 困った場面があった
官兵衛の 部下も一向宗の門徒がその間離れていった
それは 信長が比叡山を焼き殺したから なのか?
今から その時代は400年以上も前か・・・
ワシの里のすぐ東 西の高野山とも言われた
佐用郡から
上月城の 上のほうの 西の高野山の 付近も
豊臣秀吉の上月城攻めで たぶん 焼かれてしまった と思う
此のあたりは 佐用から 上月は 元々
赤松氏の支配の時代が長かったと思う
赤穂浪士の 赤穂市は 元は 赤松の出自じゃないかと空想してる
ココラも 元々は吉備の国だった
県境などは あいまいだった と空想
さよう 讃用 と昔は書いたのだ
讃岐の讃や
この讃用 別けの犬が 鉱山を探した場所でもある
これは
播磨風土記に出てくるので
ワケの犬が 古代史に出てくる 証明や
この 美作の西 サヨウ ここの山の谷の多くに
鉱物資源を見つけた それが 別けの犬じゃ
備前・みまさか の 山の一角じゃ
楢原 トーナイの家から 東へ20kmほど
そんで 楢原の隣村が平福で
讃用にも 平福と言う場所があって
そこは 後の時代には 赤松氏の元祖拠点だった
その時代では
黒田官兵衛も 赤松が怖かったんだ
赤松は 鬼のような戦い方をする 恐い男じゃ
赤松氏も 元は 別けの犬の子孫かも知れんな~
http://tohnai.com/top_main.html
岡山県に生まれていても岡山のことで知らない事も多い
岡山県東部を流れる 吉井川 この川は何時の時代から 吉井川と呼ばれたのか
調べていくと吉井川と呼んだのは
明治時代以降だったな~
これは間違いない
国土交通省のHPから 調べたら そう書いてある
そうか まだ150年ほどしか 吉井川とは言わなかった
知らんことが多い
古代史で備前国 みまさか国を調べている割には
東内誠は 知らんことが多い
昔は 旭川を 西の大川
吉井川を 東の大川 と 称したか
その源流から(川上)から 奥津川 津山川
そんで今のミマサカ市 旧英田町の
合流地帯付近から
スサイ川
スサだよ スサノオのスサ その下を和気川と呼んだか
この現在の呼び名 吉井川は 岡山県下では 最初に 流域の開発が行われた と 国土交通省は書いている
その流域開発は 今から1700年以上前とある
西暦250年あたりから この 備前の河川は開発された
此の川を 高瀬船なども利用した時代もあっただろう
此の河川は 出雲と畿内との 交通路だった
吉井川は 岡山県北部から 流れ出て
最後は瀬戸内の 西大寺あたりに 出て行く
途中で 和気町から
備前の港のほうにも 出られたと思う
和気清麻呂公は 岡山県 和気町の出だが
京都に平安京を造る 責任者の一人であり(西暦700年台) 吉井川の水運をよく 知っていたので それを京都の都の建設にも利用したと僕は空想してる
吉井川の水運が 利用され始めたのが とても 古くからの1750年前で
平安京建設は1200年前やから そうなる
奈良県の歴史も それは 古いが
もっと古いのが 吉備の国だから そうなる
岡山県や島根県が 前方後円墳というんかな
その原型が始まった場所ともされているから
それは 古いんだ
埴輪の 元祖も 出雲や吉備が
どうも元祖ということもあってね
この焼物も その後 大阪府豊中市のほうに 移動していっている 庄内式土器
これは備前のほうから伝わったと想定している
それは 豊中市の歴史に詳しい人でも そう考えておられると思う
https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunkazai/column/koramutoyonaka01syo.html
上のリンクは豊中市HPだがそれは豊中市も認めている
そんで その時代の庄内式土器は 今で言う 日本の炊飯ジャーみたいなものだった
中国人が旅行に来て 日本製の 炊飯器を買って帰っているでしょう それと一緒
1800-1700年前に 備前 キビの国から
東に豊中市
そして 大阪 奈良に 土器の最新技術は移動した
備前の いんべ焼きや
インベ瓦も そうじゃし
今時は 備前焼という
忌部 とは 書かないが インベ焼きだ
インベとは 今の日本人の苗字なら 藤 とか 斎 斉 とかの苗字になるか
忌部氏 というたら その昔からの 祭祀を行う系統で
今時の苗字なら 齋藤とか 斎藤 とかいう苗字や
忌む という 漢字は 葬儀の時の 忌なので その忌むは苗字には 今では使わない傾向かな?
ワシな 吉井川の 津山市からとミマサカ市からの合流の辺りから 少し 東へ 行ったところの
天石門ワケ神社 美作瀧の宮 飛騨の滝宮
あそこは 忌部氏の 匂いが 非常に強く感じるん
此の神社の由緒から 此処を ワシは2000年間動いたことは無い と言うておるんじゃ
この神社というか 磐山の神さんは日本最古級だと思う
吉備津彦 四道将軍が 来る以前の年代から おるかも知れんぞ
ワシがネットで これを書くので 行く耽美に この山の神社に行く人が 増えてきている と感じるんだ
けっこうに参拝者が 増えているように思う
ほんでも あそこは賽銭泥棒が入るので これには困ったもんじゃ
ここの賽銭を盗む奴は 絶対に許せんな~
バチがあたるで この盗人め
しかし この山の祠は ヒシヒシと霊気が満杯の場所だ
ワシらの先祖は その昔から この吉野川の周辺から 兵庫県側の 揖保川というんか あの周辺の山や谷の中を 石を探して彷徨った 徘徊したと思うわ
石や
鉄分や銅分を多く含んだ石や
ミマサカ市では 昔 金も出たと思う
そのスサイの柵原鉱山は 昭和の時代か
その時代は
日本では最大級の 鉄の鉱山だった
しかし それは近年の時代でな
鉄は たぶん1700-1800年前も出たと思うわ
此の前 田舎に帰ったときに
分家のテッチャンが言うてた マコちゃん所の 池の上の山の茶畑の辺りにも 坑道の跡がある
と言うてたな~
マコちゃん というたら ワシのことや
これを見て 楢原上の神宿の山の坑道には 入ったらあかんで
縦穴もあるので 落ちたら死ぬし
穴に入って酸素が切れたら
そりゃ ほんまに 死ぬからな
ワシら幼い時に探検隊をするときは
ロウソクかタイマツ持って入ってた覚えがある
コウモリもようけ 住んでいるのでな コウモリの糞だらけやで 長靴も必要じゃし
あのな 焼物と鉱山は関係するんや
同じように熱処理をするやろ
とにかく そんな石が昔は出たのでな 備前 キビに渡来人が あちこちから
金属を求めてやってきた と思うわ
突厥や ユダヤのほうから
来た様な人も 金属製錬の技を知っていたんじゃ と思うな
そんで 和気の清麻呂は
空海が 遣唐使で行く時も
たぶん 清麻呂や藤原何がしが 影で支援したと思う
空海は 四国の出だが 空海の先祖は 岡山にも ご縁の深い 渡来系の先祖だと思う
そや~ 空海も 温泉とか 鉱山とかに かなり関わっているというか そんな学問も知っていた
あんた 空海を知らんのんか 空海は知ってるやろ
弘法太子こうぼうだいし空海 真言宗しんごん や
なむだい しへんじょう こんごう や
天皇家は 神職であらされるが 勿論 ご仏壇もあり
お寺も もちろん ある
朝廷は 御室派になるんかな~
確実では ないが
仁和寺や
ワシら東内も ニンナジやけどな
仁和寺を知らないか それは あかんな~
京都の仁和寺を知らないと話にならんな~
あそこに いけば ご皇室の部屋も見ることができる場所
まあ そんな事を言っている このワシも仏教に詳しくは無い
そや 昨日812は 親戚のことで 大阪府松原市の 叔父の墓を訪ねて ここは 一向宗やったな
一向宗というのは
東と 西があるんか
叔父は西本願寺やった
松原市の天美の駅の 所に すごい古い墓を持ってる
道田の家も けっこう 古いことが解った
この叔父は28年前に死んだが
叔母が 子供が居ないので 東内の家から出た叔母だが 子どもが居ない場合は 長兄の長男のワシが面倒をみないとあかん掟なので もう10年数年 ワシの責任下になっているんじゃ
そんな事もあって 叔母の最後も近くて 調べないと 一向宗の葬儀も知らんし
調べておかんと 死んだわ 違う宗派に 葬儀を出してもらうとかでは 義理が悪いしさ
西本願寺と 東本願寺はまったく違う らしい
ややっこしい
一向宗 というたら
一向一揆とか あったあの一向宗か
NHKの軍師官兵衛 でも 一向宗も門徒が 困った場面があった
官兵衛の 部下も一向宗の門徒がその間離れていった
それは 信長が比叡山を焼き殺したから なのか?
今から その時代は400年以上も前か・・・
ワシの里のすぐ東 西の高野山とも言われた
佐用郡から
上月城の 上のほうの 西の高野山の 付近も
豊臣秀吉の上月城攻めで たぶん 焼かれてしまった と思う
此のあたりは 佐用から 上月は 元々
赤松氏の支配の時代が長かったと思う
赤穂浪士の 赤穂市は 元は 赤松の出自じゃないかと空想してる
ココラも 元々は吉備の国だった
県境などは あいまいだった と空想
さよう 讃用 と昔は書いたのだ
讃岐の讃や
この讃用 別けの犬が 鉱山を探した場所でもある
これは
播磨風土記に出てくるので
ワケの犬が 古代史に出てくる 証明や
この 美作の西 サヨウ ここの山の谷の多くに
鉱物資源を見つけた それが 別けの犬じゃ
備前・みまさか の 山の一角じゃ
楢原 トーナイの家から 東へ20kmほど
そんで 楢原の隣村が平福で
讃用にも 平福と言う場所があって
そこは 後の時代には 赤松氏の元祖拠点だった
その時代では
黒田官兵衛も 赤松が怖かったんだ
赤松は 鬼のような戦い方をする 恐い男じゃ
赤松氏も 元は 別けの犬の子孫かも知れんな~
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