東内社長BLOG 2015/6/15
蘇我入鹿の時代聖徳太子のブレン秦河勝は備前赤穂船越に逃れた大酒(避)神社群の西は天石門ワケ神社
投稿日時:2015/06/15(月) 06:37
秦氏は、6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団とされる。
秦河勝は秦氏の族長的人物として聖徳太子の元で活躍した人物
のち京都最古の寺とされる広隆寺を建立、
聖徳太子より賜った
弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置したとされる。
広隆寺近隣には大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って広隆寺境内から分散し遷座した
河勝は太子死後の皇極3年(644年)、蘇我の入鹿から?
迫害を避けて海路をたどって坂越に移り、
千種川流域(岡山 吉井川の直 東の川)の開拓を進めたのち、大化3年に80余歳で死去した。
そして地元の民がその霊を祀ったのが創建という。
大避神社正面の海上に浮かぶ
生島には秦河勝の墓があり神域となっている
6/14はミマサカ 楢原 と平福 の境の 僕の実家から南方向へ山中を10km
ほど 馬が通るような細い道を山超えして飛騨の滝宮
そこから西の方向へ走行したら 石上布霊神社で
東に少し 山の中を進めば 備前の山中から 船越、
地図で言うと 天石門ワケ神社(飛騨の滝宮)から東側の山は 八塔寺で
その東の辺りは 船越でして
此の辺りは 岡山県と兵庫県の県境があいまいな 山中
この辺りには 大酒 大避神社が かなりの数 あるんだ
赤穂 上郡と言う地名にもなるか
いつも 僕は言っているんだが その付近は その昔は キビの国だったに違いない
この赤穂の海の中に ひょっこり・ひょうたん島のような 形の島が 生島
蘇我の入鹿の迫害を受けて
秦氏のボスが逃げのびて暮らした場所で
その 付近から どうも 谷川に沿って 数本の道があって どうも 秦氏の系統が そこらの山の中を徘徊して 開拓していったような感じがある
八塔寺にも 入った可能性は高いと思うし
八塔寺に入ったならば そこからの山道を 下外野とか 美作・江見のほうにも 土井・宿 のほうにも 移動したと思う
吉井川を見下ろす 丘の上に
平福の古墳が出ているが その古墳から 出たのが 太い尻緒を持つった羊と女性の 石棺 この石棺が 日本一 美しいとされる石棺
ユダヤの血の流れをひくかも 知れないな~
これが 葬られたのが 西暦600年くらいか
秦氏の一族 一派は 赤穂市あたり 船越あたりから
山中を歩いて ミマサカや 讃用に 入植してきているみたいだ
赤松氏なども たぶん その系統だと空想する
赤松というたら とても激しい戦いをする
軍師 官兵衛にも その敵の赤松氏は出てきた
鎌倉に 先陣を切って攻め込んだのも 赤松氏だったと思う 狂ったように 暴れまくって戦う 恐い男
そうなんや ワシの婆ちゃんのほうは 赤松氏系から 福田 から 嫁に来ている まあ これは明治時代やけれど
そんで・・・
蘇我氏に 秦が なんで追われたのかが はっきりしないが
この備前 赤穂市 上郡 龍野 そして 太子 という 町もあるんだ 太子町(兵庫県)
なんか 聖徳太子の足跡のような感じだよ
聖徳太子は 実は 実在しなかった というような歴史になってきているのが今日なので 何が なんだか迷ってしまうよね・・
とにかく 今日の結論は 備前の横の 海の 赤穂の海のあたりの 【生島】に 秦氏のボスが 蘇我氏から逃れてきた
しかし その取り巻き達も 大勢で 備前や赤穂周辺についてきたと思う
蘇我氏が 美作に 白猪屯倉を 作った時代だから
その時代は 美作も 蘇我氏の勢力がかなり押えていたと思うのだが 此処では 深く考えない
朝廷の直轄地や 屯倉(みやけ)というたら・・
その6世紀よりも ずっと前から 秦氏は 何派にも 分かれて それぞれの時代に岡山 兵庫に渡来したので
それ以前から その辺りは 秦氏とよばれる連中も多く入っていた場所だが 秦河勝 大ボスも 備前 赤穂周辺の海から 陸へあがってきたことは 間違いない
秦氏は 僕は今のところ 百済ではなく 新羅系だと考えているのだが 間違っているのかも 知れない
しかしな この蘇我氏 先祖を昇っていくと
考元天皇(第八代)に 行き着くんだよね・・・
コウ 高句麗なんか 新羅なんか
考元というたら 吉備津が その子だから??
吉備の 備前の山中は とにかく 超古代史が満載なのでな 面白いんじゃ
その山中には とにかく 人口は少ないが かなり切れた者が多く 住んでおるんじゃ ほんまなの
なんか 変わってるんじゃ
船越 ここも 備前といえば 備前じゃ
山道を何ども何ども 地図をみて徘徊したら だんだんそれが 解ってくるんじゃ
此のあたりが 鉱山地帯やから その昔の・・・
そんで 秦氏のボスは凄い 各種のその時代では最先端の技術を持っておったと思う
それを その付近に以前から住んでいた人たちにも教えたんじゃあ ないかな~
そんで 岡山の出の人たちは 商売もキツイじゃない
それは ユダヤの思想というか 多少の血の流れも入っている可能性も否定は出来ないと思う
そんで 大陸や海を移動してきたので 勇気と根性があると思うわ
http://tohnai.com/top_main.html
秦河勝は秦氏の族長的人物として聖徳太子の元で活躍した人物
のち京都最古の寺とされる広隆寺を建立、
聖徳太子より賜った
弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置したとされる。
広隆寺近隣には大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って広隆寺境内から分散し遷座した
河勝は太子死後の皇極3年(644年)、蘇我の入鹿から?
迫害を避けて海路をたどって坂越に移り、
千種川流域(岡山 吉井川の直 東の川)の開拓を進めたのち、大化3年に80余歳で死去した。
そして地元の民がその霊を祀ったのが創建という。
大避神社正面の海上に浮かぶ
生島には秦河勝の墓があり神域となっている
6/14はミマサカ 楢原 と平福 の境の 僕の実家から南方向へ山中を10km
ほど 馬が通るような細い道を山超えして飛騨の滝宮
そこから西の方向へ走行したら 石上布霊神社で
東に少し 山の中を進めば 備前の山中から 船越、
地図で言うと 天石門ワケ神社(飛騨の滝宮)から東側の山は 八塔寺で
その東の辺りは 船越でして
此の辺りは 岡山県と兵庫県の県境があいまいな 山中
この辺りには 大酒 大避神社が かなりの数 あるんだ
赤穂 上郡と言う地名にもなるか
いつも 僕は言っているんだが その付近は その昔は キビの国だったに違いない
この赤穂の海の中に ひょっこり・ひょうたん島のような 形の島が 生島
蘇我の入鹿の迫害を受けて
秦氏のボスが逃げのびて暮らした場所で
その 付近から どうも 谷川に沿って 数本の道があって どうも 秦氏の系統が そこらの山の中を徘徊して 開拓していったような感じがある
八塔寺にも 入った可能性は高いと思うし
八塔寺に入ったならば そこからの山道を 下外野とか 美作・江見のほうにも 土井・宿 のほうにも 移動したと思う
吉井川を見下ろす 丘の上に
平福の古墳が出ているが その古墳から 出たのが 太い尻緒を持つった羊と女性の 石棺 この石棺が 日本一 美しいとされる石棺
ユダヤの血の流れをひくかも 知れないな~
これが 葬られたのが 西暦600年くらいか
秦氏の一族 一派は 赤穂市あたり 船越あたりから
山中を歩いて ミマサカや 讃用に 入植してきているみたいだ
赤松氏なども たぶん その系統だと空想する
赤松というたら とても激しい戦いをする
軍師 官兵衛にも その敵の赤松氏は出てきた
鎌倉に 先陣を切って攻め込んだのも 赤松氏だったと思う 狂ったように 暴れまくって戦う 恐い男
そうなんや ワシの婆ちゃんのほうは 赤松氏系から 福田 から 嫁に来ている まあ これは明治時代やけれど
そんで・・・
蘇我氏に 秦が なんで追われたのかが はっきりしないが
この備前 赤穂市 上郡 龍野 そして 太子 という 町もあるんだ 太子町(兵庫県)
なんか 聖徳太子の足跡のような感じだよ
聖徳太子は 実は 実在しなかった というような歴史になってきているのが今日なので 何が なんだか迷ってしまうよね・・
とにかく 今日の結論は 備前の横の 海の 赤穂の海のあたりの 【生島】に 秦氏のボスが 蘇我氏から逃れてきた
しかし その取り巻き達も 大勢で 備前や赤穂周辺についてきたと思う
蘇我氏が 美作に 白猪屯倉を 作った時代だから
その時代は 美作も 蘇我氏の勢力がかなり押えていたと思うのだが 此処では 深く考えない
朝廷の直轄地や 屯倉(みやけ)というたら・・
その6世紀よりも ずっと前から 秦氏は 何派にも 分かれて それぞれの時代に岡山 兵庫に渡来したので
それ以前から その辺りは 秦氏とよばれる連中も多く入っていた場所だが 秦河勝 大ボスも 備前 赤穂周辺の海から 陸へあがってきたことは 間違いない
秦氏は 僕は今のところ 百済ではなく 新羅系だと考えているのだが 間違っているのかも 知れない
しかしな この蘇我氏 先祖を昇っていくと
考元天皇(第八代)に 行き着くんだよね・・・
コウ 高句麗なんか 新羅なんか
考元というたら 吉備津が その子だから??
吉備の 備前の山中は とにかく 超古代史が満載なのでな 面白いんじゃ
その山中には とにかく 人口は少ないが かなり切れた者が多く 住んでおるんじゃ ほんまなの
なんか 変わってるんじゃ
船越 ここも 備前といえば 備前じゃ
山道を何ども何ども 地図をみて徘徊したら だんだんそれが 解ってくるんじゃ
此のあたりが 鉱山地帯やから その昔の・・・
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それを その付近に以前から住んでいた人たちにも教えたんじゃあ ないかな~
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