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難波豊前へ始めて進き別の犬・真金吹く吉備・東内大藤内銅鉄[東内社長BLOG]
投稿日時:2014/11/17(月) 04:08
鉄 石 山 その昔から 多分 今から1400年も前頃から 岡山県の美作と
その東隣りの 播磨(はりま) 美作の東は現在の佐用郡 佐用付近は 鉄の鉱山など多く
各種 鉱物資源が採れた山だ
*播磨風土記にも 出てくるが このような文章も出てくる
***讃容郡(さよぐん:現在では佐用郡)***
≪鹿を放ちし山を鹿庭(かにわ)山と号(なず)く。
山の四面(よも)に12の谷あり。
皆、鐵を生す。
難波豊前(なにわとよさき)の朝廷(みかど)に始めて進(たてまつり)き、
見顕(みあらわ)しし人は別部の犬、』
風土記とは
日本全国の各地の事を 文章にまとめて 時の中央政府に報告した文章のこと
(ふうどき とは読まず、ふどき と読みます)
別部の犬 とは 鉱山を見つけるのが 得意な一家の事を言うみたいだ
犬 とは なんとも 酷い言い方だが
昔は差別用語など 気にしないから
しばらく前から 矢吹金一郎 新訂 作陽誌さくようし という本を読んで いるが
今 東作誌の第五巻 なのだけれど この本には 自分の先祖たちも けっこう出てきて面白い
親戚や 幼馴染たちの家の 苗字も 多く 出てくるんだ
備前市(現在は岡山県)から 赤穂市(現在は兵庫県 播州)
和気から 美作 佐用 山崎
太子町 という地名もある 聖徳太子にも 関係するかな~
蘇我氏(そがし)が、入ってくる前は物部氏(もののべ し)の勢力も強かった感じやな・・
この辺の 山の中に ある時代 中臣(なかとみ)も 忌部氏いんべ・し も おったと思う
秦氏は というと 蘇我氏の関係で入ってきた秦氏も多いと思うし
秦氏は それ以前からも 備前の港付近から 赤穂の付近にも 居たのかも知れない
これは まだ僕には 解からない
しかし
難波豊前(なにわとよさき)の朝廷(みかど)に始めて進(たてまつり)き
って 言うと 時代は かなり見えてくるんだ
難波に宮があった 時代 というたら 聖徳太子?の 蘇我の勢力が強かったと・・・
先々週だった 大阪城の前の NHKのところで 難波の宮 と いうか よく 解からないが
建物跡地 高床式の倉庫跡なのか よく解からないが、大阪府庁のところに 遺跡があるよね あそこは見て来た。
元 吉備国の 枕詞が
まがねふく【真金吹く】
鉄を精錬する意から,鉄の産地である,地名「丹生(にう)」「吉備(きび)」にかかる。「 -丹生のま朱(そほ)の色に出て/万葉集 3560」
専門家の人の 文章を一部コピすると***
***真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ
この歌は平安朝の第一勅撰集である
『古今和歌集』の「神遊びの歌」に入っています。
宮廷で仁明天皇京都第 54代の天皇 (在位 833~850)
が即位される時に催された大嘗祭(だいじょうさい)で詠われた歌
美作と播州の 境目は あやふや だったように思う それは作陽誌をみていても 備前から 美作市 佐用郡あたりの 村は
今で言う 岡山県と兵庫県を重複している と思う
なんか 纏まりのない 2014年11月17日早朝のブログになってしまって おる 感じやな~
ようするに ?トーナイの 東内誠 その昔は 一時期 藤内とも 呼ばれた とうない は 金属を追う 性質を血の中にワシは持っているような気がしてならない
日曜日も 長い時間 調べていたら どうも 美作の 楢原の下のほうの 山 林野になるんか その奥の山なのか特定は出来ないが
金鉱山も 出ている 金も 採れたんだ ワシの里 美作の山
どうも ワシの東内誠の先祖 中山太神宮の藤内は 楢原の山から 川を越えて 備前に向う 山道を 滝宮(天石門ワケ神社)の方にも向ったり
兵庫県 佐用 付近の山や ある時は 兵庫県 赤穂市の辺までも 徘徊したと思う
その山々のなかに 赤松氏なども 発生した 今NHKの歴史で出ている 黒田官兵衛の 先祖も出たように思う
和気清麻呂公も 出た山だ
和気清麻呂(わけきよまろ)は 京都 平安京や 長岡京を作った人だが 知らないか 最近生まれた人は?
戦前に生まれた人は教科書で習ってその時代の日本人は全員が知っている超有名な先人や
とにかく その昔 鉄 銅 などを 手に入れた者が 勇者になった
もしかして 先の 王家は 一時代 キビ国出自の王だった かも 知れないよ これは勘でしか ないが
キビ王国の歴史は 超古いことは 間違いない
中山 チュウザン その 言葉には なにかしら 隠されていると思う
知識が 無いので 余計に悩んでいる 解からない事が多すぎる
まあ 歴史などを50年以上も キビの関係で追っておられる方々でさえ 不明な事は多いのだから 仕方がない。
そんで ワシも本能なのかどうか自分では解からないが 日々 金属の屑を追っているじゃない
****犬 かも 知れないね
猿かも知れないし 犬猿雉や さっぱり 解からんぞ
また 牛や 馬(午)かもしれないし
蛇やらも 信仰の対象にした、亀も出てくる 鶴も出る
昔の人は 色色と信仰した
廃金属売買TONAI トーナイ東内誠
http://tohnai.com/top_main.html
以下は 東内誠の出自など 歴史調査の資料の一部
東内誠神社の由緒
藤内家書記如左是は當(当)国一の宮, 中山大神宮の初穂取に御座候。先年少之 内當 村に御鎭座成らせられ候よし, 申し傳(伝)え候。
則ち「初穂取の者共神宿に居る」と申し傳え候
藤内と申す者先年(神の)御宿を申し候につき,
その規模(ほまれ・てがら)として子々孫々まで當国の内,
東六郡の夏秋両度の御初穂取に候。六郡の内‥‥‥。
矛 殿 藤内家にある神殿を云う。棟を別にして方二間半ばかり。
藤内家は古は五家、今は分かれて六家となる。
一宮社家説に云う。 昔 中山の社に神鉾あり。
その祭祀最も奥秘の神事とす。
世に叛臣ある時は則ち必ず此の祭を修す。
その法は石基を四方と中央に安して,各神鉾をその上に建て,
これを五座の鉾石と云う。
嘉承二年丁亥十二月,対馬守源義親が
出雲の国に在て謀叛の時,これを行うと云う
嘉承二年を 検索すると 西暦では1100年ごろの時代
「出雲国」を とうない が 藤原氏?の御指示で
武器を手にとり攻めたのかも知れんし
祈祷 神事をしただけかも 知れない
この英田郡史(美作国)では 矛殿
「中山太 では なくて 中山大神宮」 と なっている
(平成の時代の東内 の東内誠メモ)
この西暦1100年の時代は 東内ではなく 藤内となっている
今よりも、900年前の時代
その東隣りの 播磨(はりま) 美作の東は現在の佐用郡 佐用付近は 鉄の鉱山など多く
各種 鉱物資源が採れた山だ
*播磨風土記にも 出てくるが このような文章も出てくる
***讃容郡(さよぐん:現在では佐用郡)***
≪鹿を放ちし山を鹿庭(かにわ)山と号(なず)く。
山の四面(よも)に12の谷あり。
皆、鐵を生す。
難波豊前(なにわとよさき)の朝廷(みかど)に始めて進(たてまつり)き、
見顕(みあらわ)しし人は別部の犬、』
風土記とは
日本全国の各地の事を 文章にまとめて 時の中央政府に報告した文章のこと
(ふうどき とは読まず、ふどき と読みます)
別部の犬 とは 鉱山を見つけるのが 得意な一家の事を言うみたいだ
犬 とは なんとも 酷い言い方だが
昔は差別用語など 気にしないから
しばらく前から 矢吹金一郎 新訂 作陽誌さくようし という本を読んで いるが
今 東作誌の第五巻 なのだけれど この本には 自分の先祖たちも けっこう出てきて面白い
親戚や 幼馴染たちの家の 苗字も 多く 出てくるんだ
備前市(現在は岡山県)から 赤穂市(現在は兵庫県 播州)
和気から 美作 佐用 山崎
太子町 という地名もある 聖徳太子にも 関係するかな~
蘇我氏(そがし)が、入ってくる前は物部氏(もののべ し)の勢力も強かった感じやな・・
この辺の 山の中に ある時代 中臣(なかとみ)も 忌部氏いんべ・し も おったと思う
秦氏は というと 蘇我氏の関係で入ってきた秦氏も多いと思うし
秦氏は それ以前からも 備前の港付近から 赤穂の付近にも 居たのかも知れない
これは まだ僕には 解からない
しかし
難波豊前(なにわとよさき)の朝廷(みかど)に始めて進(たてまつり)き
って 言うと 時代は かなり見えてくるんだ
難波に宮があった 時代 というたら 聖徳太子?の 蘇我の勢力が強かったと・・・
先々週だった 大阪城の前の NHKのところで 難波の宮 と いうか よく 解からないが
建物跡地 高床式の倉庫跡なのか よく解からないが、大阪府庁のところに 遺跡があるよね あそこは見て来た。
元 吉備国の 枕詞が
まがねふく【真金吹く】
鉄を精錬する意から,鉄の産地である,地名「丹生(にう)」「吉備(きび)」にかかる。「 -丹生のま朱(そほ)の色に出て/万葉集 3560」
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この歌は平安朝の第一勅撰集である
『古今和歌集』の「神遊びの歌」に入っています。
宮廷で仁明天皇京都第 54代の天皇 (在位 833~850)
が即位される時に催された大嘗祭(だいじょうさい)で詠われた歌
美作と播州の 境目は あやふや だったように思う それは作陽誌をみていても 備前から 美作市 佐用郡あたりの 村は
今で言う 岡山県と兵庫県を重複している と思う
なんか 纏まりのない 2014年11月17日早朝のブログになってしまって おる 感じやな~
ようするに ?トーナイの 東内誠 その昔は 一時期 藤内とも 呼ばれた とうない は 金属を追う 性質を血の中にワシは持っているような気がしてならない
日曜日も 長い時間 調べていたら どうも 美作の 楢原の下のほうの 山 林野になるんか その奥の山なのか特定は出来ないが
金鉱山も 出ている 金も 採れたんだ ワシの里 美作の山
どうも ワシの東内誠の先祖 中山太神宮の藤内は 楢原の山から 川を越えて 備前に向う 山道を 滝宮(天石門ワケ神社)の方にも向ったり
兵庫県 佐用 付近の山や ある時は 兵庫県 赤穂市の辺までも 徘徊したと思う
その山々のなかに 赤松氏なども 発生した 今NHKの歴史で出ている 黒田官兵衛の 先祖も出たように思う
和気清麻呂公も 出た山だ
和気清麻呂(わけきよまろ)は 京都 平安京や 長岡京を作った人だが 知らないか 最近生まれた人は?
戦前に生まれた人は教科書で習ってその時代の日本人は全員が知っている超有名な先人や
とにかく その昔 鉄 銅 などを 手に入れた者が 勇者になった
もしかして 先の 王家は 一時代 キビ国出自の王だった かも 知れないよ これは勘でしか ないが
キビ王国の歴史は 超古いことは 間違いない
中山 チュウザン その 言葉には なにかしら 隠されていると思う
知識が 無いので 余計に悩んでいる 解からない事が多すぎる
まあ 歴史などを50年以上も キビの関係で追っておられる方々でさえ 不明な事は多いのだから 仕方がない。
そんで ワシも本能なのかどうか自分では解からないが 日々 金属の屑を追っているじゃない
****犬 かも 知れないね
猿かも知れないし 犬猿雉や さっぱり 解からんぞ
また 牛や 馬(午)かもしれないし
蛇やらも 信仰の対象にした、亀も出てくる 鶴も出る
昔の人は 色色と信仰した
廃金属売買TONAI トーナイ東内誠
http://tohnai.com/top_main.html
以下は 東内誠の出自など 歴史調査の資料の一部
東内誠神社の由緒
藤内家書記如左是は當(当)国一の宮, 中山大神宮の初穂取に御座候。先年少之 内當 村に御鎭座成らせられ候よし, 申し傳(伝)え候。
則ち「初穂取の者共神宿に居る」と申し傳え候
藤内と申す者先年(神の)御宿を申し候につき,
その規模(ほまれ・てがら)として子々孫々まで當国の内,
東六郡の夏秋両度の御初穂取に候。六郡の内‥‥‥。
矛 殿 藤内家にある神殿を云う。棟を別にして方二間半ばかり。
藤内家は古は五家、今は分かれて六家となる。
一宮社家説に云う。 昔 中山の社に神鉾あり。
その祭祀最も奥秘の神事とす。
世に叛臣ある時は則ち必ず此の祭を修す。
その法は石基を四方と中央に安して,各神鉾をその上に建て,
これを五座の鉾石と云う。
嘉承二年丁亥十二月,対馬守源義親が
出雲の国に在て謀叛の時,これを行うと云う
嘉承二年を 検索すると 西暦では1100年ごろの時代
「出雲国」を とうない が 藤原氏?の御指示で
武器を手にとり攻めたのかも知れんし
祈祷 神事をしただけかも 知れない
この英田郡史(美作国)では 矛殿
「中山太 では なくて 中山大神宮」 と なっている
(平成の時代の東内 の東内誠メモ)
この西暦1100年の時代は 東内ではなく 藤内となっている
今よりも、900年前の時代
難波豊前へ始めて進き別の犬・真金吹く吉備・東内大藤内銅鉄[GOO日々更新 東内誠 相場 歴史などのブログ]
投稿日時:2014/11/17(月) 04:08
鉄 石 山 その昔から 多分 今から1400年も前頃から 岡山県の美作と
その東隣りの 播磨(はりま) 美作の東は現在の佐用郡 佐用付近は 鉄の鉱山など多く
各種 鉱物資源が採れた山だ
*播磨風土記にも 出てくるが このような文章も出てくる
***讃容郡(さよぐん:現在では佐用郡)***
≪鹿を放ちし山を鹿庭(かにわ)山と号(なず)く。
山の四面(よも)に12の谷あり。
皆、鐵を生す。
難波豊前(なにわとよさき)の朝廷(みかど)に始めて進(たてまつり)き、
見顕(みあらわ)しし人は別部の犬、』
風土記とは
日本全国の各地の事を 文章にまとめて 時の中央政府に報告した文章のこと
(ふうどき とは読まず、ふどき と読みます)
別部の犬 とは 鉱山を見つけるのが 得意な一家の事を言うみたいだ
犬 とは なんとも 酷い言い方だが
昔は差別用語など 気にしないから
しばらく前から 矢吹金一郎 新訂 作陽誌さくようし という本を読んで いるが
今 東作誌の第五巻 なのだけれど この本には 自分の先祖たちも けっこう出てきて面白い
親戚や 幼馴染たちの家の 苗字も 多く 出てくるんだ
備前市(現在は岡山県)から 赤穂市(現在は兵庫県 播州)
和気から 美作 佐用 山崎
太子町 という地名もある 聖徳太子にも 関係するかな~
蘇我氏(そがし)が、入ってくる前は物部氏(もののべ し)の勢力も強かった感じやな・・
この辺の 山の中に ある時代 中臣(なかとみ)も 忌部氏いんべ・し も おったと思う
秦氏は というと 蘇我氏の関係で入ってきた秦氏も多いと思うし
秦氏は それ以前からも 備前の港付近から 赤穂の付近にも 居たのかも知れない
これは まだ僕には 解からない
しかし
難波豊前(なにわとよさき)の朝廷(みかど)に始めて進(たてまつり)き
って 言うと 時代は かなり見えてくるんだ
難波に宮があった 時代 というたら 聖徳太子?の 蘇我の勢力が強かったと・・・
先々週だった 大阪城の前の NHKのところで 難波の宮 と いうか よく 解からないが
建物跡地 高床式の倉庫跡なのか よく解からないが、大阪府庁のところに 遺跡があるよね あそこは見て来た。
元 吉備国の 枕詞が
まがねふく【真金吹く】
鉄を精錬する意から,鉄の産地である,地名「丹生(にう)」「吉備(きび)」にかかる。「 -丹生のま朱(そほ)の色に出て/万葉集 3560」
専門家の人の 文章を一部コピすると***
***真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ
この歌は平安朝の第一勅撰集である
『古今和歌集』の「神遊びの歌」に入っています。
宮廷で仁明天皇京都第 54代の天皇 (在位 833~850)
が即位される時に催された大嘗祭(だいじょうさい)で詠われた歌
美作と播州の 境目は あやふや だったように思う それは作陽誌をみていても 備前から 美作市 佐用郡あたりの 村は
今で言う 岡山県と兵庫県を重複している と思う
なんか 纏まりのない 2014年11月17日早朝のブログになってしまって おる 感じやな~
ようするに ?トーナイの 東内誠 その昔は 一時期 藤内とも 呼ばれた とうない は 金属を追う 性質を血の中にワシは持っているような気がしてならない
日曜日も 長い時間 調べていたら どうも 美作の 楢原の下のほうの 山 林野になるんか その奥の山なのか特定は出来ないが
金鉱山も 出ている 金も 採れたんだ ワシの里 美作の山
どうも ワシの東内誠の先祖 中山太神宮の藤内は 楢原の山から 川を越えて 備前に向う 山道を 滝宮(天石門ワケ神社)の方にも向ったり
兵庫県 佐用 付近の山や ある時は 兵庫県 赤穂市の辺までも 徘徊したと思う
その山々のなかに 赤松氏なども 発生した 今NHKの歴史で出ている 黒田官兵衛の 先祖も出たように思う
和気清麻呂公も 出た山だ
和気清麻呂(わけきよまろ)は 京都 平安京や 長岡京を作った人だが 知らないか 最近生まれた人は?
戦前に生まれた人は教科書で習ってその時代の日本人は全員が知っている超有名な先人や
とにかく その昔 鉄 銅 などを 手に入れた者が 勇者になった
もしかして 先の 王家は 一時代 キビ国出自の王だった かも 知れないよ これは勘でしか ないが
キビ王国の歴史は 超古いことは 間違いない
中山 チュウザン その 言葉には なにかしら 隠されていると思う
知識が 無いので 余計に悩んでいる 解からない事が多すぎる
まあ 歴史などを50年以上も キビの関係で追っておられる方々でさえ 不明な事は多いのだから 仕方がない。
そんで ワシも本能なのかどうか自分では解からないが 日々 金属の屑を追っているじゃない
****犬 かも 知れないね
猿かも知れないし 犬猿雉や さっぱり 解からんぞ
また 牛や 馬(午)かもしれないし
蛇やらも 信仰の対象にした、亀も出てくる 鶴も出る
昔の人は 色色と信仰した
廃金属売買TONAI トーナイ東内誠
http://tohnai.com/top_main.html
以下は 東内誠の出自など 歴史調査の資料の一部
東内誠神社の由緒
藤内家書記如左是は當(当)国一の宮, 中山大神宮の初穂取に御座候。先年少之 内當 村に御鎭座成らせられ候よし, 申し傳(伝)え候。
則ち「初穂取の者共神宿に居る」と申し傳え候
藤内と申す者先年(神の)御宿を申し候につき,
その規模(ほまれ・てがら)として子々孫々まで當国の内,
東六郡の夏秋両度の御初穂取に候。六郡の内‥‥‥。
矛 殿 藤内家にある神殿を云う。棟を別にして方二間半ばかり。
藤内家は古は五家、今は分かれて六家となる。
一宮社家説に云う。 昔 中山の社に神鉾あり。
その祭祀最も奥秘の神事とす。
世に叛臣ある時は則ち必ず此の祭を修す。
その法は石基を四方と中央に安して,各神鉾をその上に建て,
これを五座の鉾石と云う。
嘉承二年丁亥十二月,対馬守源義親が
出雲の国に在て謀叛の時,これを行うと云う
嘉承二年を 検索すると 西暦では1100年ごろの時代
「出雲国」を とうない が 藤原氏?の御指示で
武器を手にとり攻めたのかも知れんし
祈祷 神事をしただけかも 知れない
この英田郡史(美作国)では 矛殿
「中山太 では なくて 中山大神宮」 と なっている
(平成の時代の東内 の東内誠メモ)
この西暦1100年の時代は 東内ではなく 藤内となっている
今よりも、900年前の時代
その東隣りの 播磨(はりま) 美作の東は現在の佐用郡 佐用付近は 鉄の鉱山など多く
各種 鉱物資源が採れた山だ
*播磨風土記にも 出てくるが このような文章も出てくる
***讃容郡(さよぐん:現在では佐用郡)***
≪鹿を放ちし山を鹿庭(かにわ)山と号(なず)く。
山の四面(よも)に12の谷あり。
皆、鐵を生す。
難波豊前(なにわとよさき)の朝廷(みかど)に始めて進(たてまつり)き、
見顕(みあらわ)しし人は別部の犬、』
風土記とは
日本全国の各地の事を 文章にまとめて 時の中央政府に報告した文章のこと
(ふうどき とは読まず、ふどき と読みます)
別部の犬 とは 鉱山を見つけるのが 得意な一家の事を言うみたいだ
犬 とは なんとも 酷い言い方だが
昔は差別用語など 気にしないから
しばらく前から 矢吹金一郎 新訂 作陽誌さくようし という本を読んで いるが
今 東作誌の第五巻 なのだけれど この本には 自分の先祖たちも けっこう出てきて面白い
親戚や 幼馴染たちの家の 苗字も 多く 出てくるんだ
備前市(現在は岡山県)から 赤穂市(現在は兵庫県 播州)
和気から 美作 佐用 山崎
太子町 という地名もある 聖徳太子にも 関係するかな~
蘇我氏(そがし)が、入ってくる前は物部氏(もののべ し)の勢力も強かった感じやな・・
この辺の 山の中に ある時代 中臣(なかとみ)も 忌部氏いんべ・し も おったと思う
秦氏は というと 蘇我氏の関係で入ってきた秦氏も多いと思うし
秦氏は それ以前からも 備前の港付近から 赤穂の付近にも 居たのかも知れない
これは まだ僕には 解からない
しかし
難波豊前(なにわとよさき)の朝廷(みかど)に始めて進(たてまつり)き
って 言うと 時代は かなり見えてくるんだ
難波に宮があった 時代 というたら 聖徳太子?の 蘇我の勢力が強かったと・・・
先々週だった 大阪城の前の NHKのところで 難波の宮 と いうか よく 解からないが
建物跡地 高床式の倉庫跡なのか よく解からないが、大阪府庁のところに 遺跡があるよね あそこは見て来た。
元 吉備国の 枕詞が
まがねふく【真金吹く】
鉄を精錬する意から,鉄の産地である,地名「丹生(にう)」「吉備(きび)」にかかる。「 -丹生のま朱(そほ)の色に出て/万葉集 3560」
専門家の人の 文章を一部コピすると***
***真金吹く吉備の中山帯にせる細谷川の音のさやけさ
この歌は平安朝の第一勅撰集である
『古今和歌集』の「神遊びの歌」に入っています。
宮廷で仁明天皇京都第 54代の天皇 (在位 833~850)
が即位される時に催された大嘗祭(だいじょうさい)で詠われた歌
美作と播州の 境目は あやふや だったように思う それは作陽誌をみていても 備前から 美作市 佐用郡あたりの 村は
今で言う 岡山県と兵庫県を重複している と思う
なんか 纏まりのない 2014年11月17日早朝のブログになってしまって おる 感じやな~
ようするに ?トーナイの 東内誠 その昔は 一時期 藤内とも 呼ばれた とうない は 金属を追う 性質を血の中にワシは持っているような気がしてならない
日曜日も 長い時間 調べていたら どうも 美作の 楢原の下のほうの 山 林野になるんか その奥の山なのか特定は出来ないが
金鉱山も 出ている 金も 採れたんだ ワシの里 美作の山
どうも ワシの東内誠の先祖 中山太神宮の藤内は 楢原の山から 川を越えて 備前に向う 山道を 滝宮(天石門ワケ神社)の方にも向ったり
兵庫県 佐用 付近の山や ある時は 兵庫県 赤穂市の辺までも 徘徊したと思う
その山々のなかに 赤松氏なども 発生した 今NHKの歴史で出ている 黒田官兵衛の 先祖も出たように思う
和気清麻呂公も 出た山だ
和気清麻呂(わけきよまろ)は 京都 平安京や 長岡京を作った人だが 知らないか 最近生まれた人は?
戦前に生まれた人は教科書で習ってその時代の日本人は全員が知っている超有名な先人や
とにかく その昔 鉄 銅 などを 手に入れた者が 勇者になった
もしかして 先の 王家は 一時代 キビ国出自の王だった かも 知れないよ これは勘でしか ないが
キビ王国の歴史は 超古いことは 間違いない
中山 チュウザン その 言葉には なにかしら 隠されていると思う
知識が 無いので 余計に悩んでいる 解からない事が多すぎる
まあ 歴史などを50年以上も キビの関係で追っておられる方々でさえ 不明な事は多いのだから 仕方がない。
そんで ワシも本能なのかどうか自分では解からないが 日々 金属の屑を追っているじゃない
****犬 かも 知れないね
猿かも知れないし 犬猿雉や さっぱり 解からんぞ
また 牛や 馬(午)かもしれないし
蛇やらも 信仰の対象にした、亀も出てくる 鶴も出る
昔の人は 色色と信仰した
廃金属売買TONAI トーナイ東内誠
http://tohnai.com/top_main.html
以下は 東内誠の出自など 歴史調査の資料の一部
東内誠神社の由緒
藤内家書記如左是は當(当)国一の宮, 中山大神宮の初穂取に御座候。先年少之 内當 村に御鎭座成らせられ候よし, 申し傳(伝)え候。
則ち「初穂取の者共神宿に居る」と申し傳え候
藤内と申す者先年(神の)御宿を申し候につき,
その規模(ほまれ・てがら)として子々孫々まで當国の内,
東六郡の夏秋両度の御初穂取に候。六郡の内‥‥‥。
矛 殿 藤内家にある神殿を云う。棟を別にして方二間半ばかり。
藤内家は古は五家、今は分かれて六家となる。
一宮社家説に云う。 昔 中山の社に神鉾あり。
その祭祀最も奥秘の神事とす。
世に叛臣ある時は則ち必ず此の祭を修す。
その法は石基を四方と中央に安して,各神鉾をその上に建て,
これを五座の鉾石と云う。
嘉承二年丁亥十二月,対馬守源義親が
出雲の国に在て謀叛の時,これを行うと云う
嘉承二年を 検索すると 西暦では1100年ごろの時代
「出雲国」を とうない が 藤原氏?の御指示で
武器を手にとり攻めたのかも知れんし
祈祷 神事をしただけかも 知れない
この英田郡史(美作国)では 矛殿
「中山太 では なくて 中山大神宮」 と なっている
(平成の時代の東内 の東内誠メモ)
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