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ブログ 2015/2/3
5555$銅相場が潮目に感じる・・仁徳天皇と黒姫美作出古事記よりトーナイ引用[GOO日々更新 東内誠 相場 歴史などのブログ]
投稿日時:2015/02/03(火) 07:05
銅5555$五ゾロ目が出ました 縁起が良い2/3朝
銅相場 午の歳、五月の頃、5日か15日、正午(お昼)の時刻、午(馬)に乗って 神が示現した その場所は
?トーナイの東内誠の生まれた家の岡山県アイダ郡ミマサカ町楢原上神宿748番地 五矛立ての家(中山太神宮)
仁徳天皇の 后のお1人 【黒姫様】は キビの国 ミマサカの出の人で 僕は 英田の 山のふもとの 吉井川を100mほど登ったところの 出自の女では ないかな~ と空想しているんじゃ
備前・ミマサカには 尾谷村 という所があって そこには 正一位と書いた赤い鳥居があるんじゃ 正一位なんて 勝手に書いている・・・
そこには 下山と言う家と とうない 唐内 という家がある 藤原氏も その後の時代かに京都から下向して住み着いている
黒姫は 勝田 というか 那岐山の西のほうに古墳があると言ってる人もいるが そこは この尾谷からは 10kmほども 川上になるが どちらか それは解からない
【黒媛は吉備の海部直の娘で、容姿端麗であったために都に召され、仁徳天皇の寵愛を受けながら、皇后の磐媛の嫉妬にあい故郷である山方(形)の地へ帰された。その黒媛を慕って仁徳天皇がわざわざ草深い山方(形)を訪れ逢瀬を重ねたという古代のロマンスが「古事記」に載っている】
とにかく 備前の港付近から 和気 英田 美作の山中から 仁徳天皇に愛された 黒姫が出たことは 間違いない と思う
古事記に出てくる 庶民のかまどから 夕方に煙が出ていないとして 年貢を数年間 無税にした という話しは 先日だったかの国会でも出てきていたが
古事記の 仁徳天皇のところ その前後に この黒姫との恋愛物語も出てくる
大阪の港の辺りの王宮から 黒姫を追って 仁徳天皇
は 瀬戸内へ船を出して たぶん 備前市のあたりから
黒姫の里を 吉井川を船にお乗りになって遡った
まあ とにかく 仁徳天皇の2号の地位になるんかな
その昔は 天皇様には嫁が何人も居たので・・・
三島鴨神社の関係で 仁徳テンオウと 秦氏とか 調べていくと 摂津の三島から 美作に たどり着くんだ
古代史に興味の無い人でも 古事記 って 聞いたことがあるやろ~
海部 の娘が キビのみまさかの黒姫じゃ・・・
海部というたら 海の民か 秦氏のことか?
まあ ええや ワシは555 が 縁起がエエと思ってる
銅相場の 潮目が変ってくるかも 知れないぞ
ワシの一族は 鉄 銅を追ったものでも あるが
祈り系の 一族でもあるので 潮目の 境目は 感じてくるんじゃ ?トーナイ 銅相場 金属を追う物 東内誠
五 午 馬 ごほこ立てを最低でも1300年維持管理の家の長兄
また仁徳天皇が 茨田堤 寝屋川 高槻市 枚方市 交野市辺りの 土手を造られた と 思う 三島じゃ 淀川堤造成 秦の民の土木の技術を要した
僕が現在 拠点にしている 大阪港は その時代は海の中だったんだ ほんまやで
大阪城のあたりは 小高い場所だったので 海ではない
ほんまやって・・・信じないか そうか
信じない者は 救われない・・・
http://www.tohnai.com/top_main.html
上記リンクは 僕の本職のスクラップ屋経営のHP 東内誠日々更新中
**古代史偏 東内誠 勉強中***
キビの国 鉄 古墳 水銀 金
弥生時代に瀬戸内沿いに 交易を目的に中国から人が渡ってきて住みつき 稗ヒエや栗 黍キビを食料にし 中国人は塩も造った
西暦300年代 瀬戸内の備前などでは
伽耶が北方騎馬民の南下で不穏になり、
更に韓半島『大陸』からの移住がつづいた。
この頃の製鉄は溶解温度の低い、
沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから製鉄した
鉄を求めた集団は 旭川 吉井川の周辺に移住し
(此の書いた人は新羅系だと書いている)。
西暦400年頃より 百済系伽耶人も移住してきて
此の人達は 沼鉄では なく沼鉄より高温で鉄鉱石を使って 製鉄をし
鉱石からの 製鉄を始めた その勢力を
東は 加古川周辺まで キビの勢力を広げた
西暦700年以降 吉備は鉄を納めることになったが だんだんと鉄鉱石が枯渇し その後
砂鉄から 鉄を造るようになった
鉄以外も 水銀の産地でもあり 金も採れた
『まがね吹く吉備の中山 帯にせる細谷川の音のさやけさ』
まがね吹くは 吉備の枕言葉
この歴史が正しいとしたら
岡山県アイダ楢原の神宿のトウナイの里山には 多分
【沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから
製鉄した】
---という 時代だと思う
その根についた 鉄分を低温度で 製鉄をして
馬に乗って示現した 神様に納めたのじゃないかな~ あくまで空想に過ぎないが
たくさんの歴史研究の方々の 書かれたものを 結び合わせていくと どうも そうなるか・・・
なので 最近 僕は 別けの犬じゃ~ って言うのもまんざらでもない
確定は出来ないが・・・
秦氏系の中国人 その中にはユダヤの血も混ざって 中国では 秦の始皇帝の 万里の長城8000kもの 土木工事にも使役されて その時代に どうも騎馬民族とも混ざって 渡来したかも 知れない
銅相場 午の歳、五月の頃、5日か15日、正午(お昼)の時刻、午(馬)に乗って 神が示現した その場所は
?トーナイの東内誠の生まれた家の岡山県アイダ郡ミマサカ町楢原上神宿748番地 五矛立ての家(中山太神宮)
仁徳天皇の 后のお1人 【黒姫様】は キビの国 ミマサカの出の人で 僕は 英田の 山のふもとの 吉井川を100mほど登ったところの 出自の女では ないかな~ と空想しているんじゃ
備前・ミマサカには 尾谷村 という所があって そこには 正一位と書いた赤い鳥居があるんじゃ 正一位なんて 勝手に書いている・・・
そこには 下山と言う家と とうない 唐内 という家がある 藤原氏も その後の時代かに京都から下向して住み着いている
黒姫は 勝田 というか 那岐山の西のほうに古墳があると言ってる人もいるが そこは この尾谷からは 10kmほども 川上になるが どちらか それは解からない
【黒媛は吉備の海部直の娘で、容姿端麗であったために都に召され、仁徳天皇の寵愛を受けながら、皇后の磐媛の嫉妬にあい故郷である山方(形)の地へ帰された。その黒媛を慕って仁徳天皇がわざわざ草深い山方(形)を訪れ逢瀬を重ねたという古代のロマンスが「古事記」に載っている】
とにかく 備前の港付近から 和気 英田 美作の山中から 仁徳天皇に愛された 黒姫が出たことは 間違いない と思う
古事記に出てくる 庶民のかまどから 夕方に煙が出ていないとして 年貢を数年間 無税にした という話しは 先日だったかの国会でも出てきていたが
古事記の 仁徳天皇のところ その前後に この黒姫との恋愛物語も出てくる
大阪の港の辺りの王宮から 黒姫を追って 仁徳天皇
は 瀬戸内へ船を出して たぶん 備前市のあたりから
黒姫の里を 吉井川を船にお乗りになって遡った
まあ とにかく 仁徳天皇の2号の地位になるんかな
その昔は 天皇様には嫁が何人も居たので・・・
三島鴨神社の関係で 仁徳テンオウと 秦氏とか 調べていくと 摂津の三島から 美作に たどり着くんだ
古代史に興味の無い人でも 古事記 って 聞いたことがあるやろ~
海部 の娘が キビのみまさかの黒姫じゃ・・・
海部というたら 海の民か 秦氏のことか?
まあ ええや ワシは555 が 縁起がエエと思ってる
銅相場の 潮目が変ってくるかも 知れないぞ
ワシの一族は 鉄 銅を追ったものでも あるが
祈り系の 一族でもあるので 潮目の 境目は 感じてくるんじゃ ?トーナイ 銅相場 金属を追う物 東内誠
五 午 馬 ごほこ立てを最低でも1300年維持管理の家の長兄
また仁徳天皇が 茨田堤 寝屋川 高槻市 枚方市 交野市辺りの 土手を造られた と 思う 三島じゃ 淀川堤造成 秦の民の土木の技術を要した
僕が現在 拠点にしている 大阪港は その時代は海の中だったんだ ほんまやで
大阪城のあたりは 小高い場所だったので 海ではない
ほんまやって・・・信じないか そうか
信じない者は 救われない・・・
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キビの国 鉄 古墳 水銀 金
弥生時代に瀬戸内沿いに 交易を目的に中国から人が渡ってきて住みつき 稗ヒエや栗 黍キビを食料にし 中国人は塩も造った
西暦300年代 瀬戸内の備前などでは
伽耶が北方騎馬民の南下で不穏になり、
更に韓半島『大陸』からの移住がつづいた。
この頃の製鉄は溶解温度の低い、
沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから製鉄した
鉄を求めた集団は 旭川 吉井川の周辺に移住し
(此の書いた人は新羅系だと書いている)。
西暦400年頃より 百済系伽耶人も移住してきて
此の人達は 沼鉄では なく沼鉄より高温で鉄鉱石を使って 製鉄をし
鉱石からの 製鉄を始めた その勢力を
東は 加古川周辺まで キビの勢力を広げた
西暦700年以降 吉備は鉄を納めることになったが だんだんと鉄鉱石が枯渇し その後
砂鉄から 鉄を造るようになった
鉄以外も 水銀の産地でもあり 金も採れた
『まがね吹く吉備の中山 帯にせる細谷川の音のさやけさ』
まがね吹くは 吉備の枕言葉
この歴史が正しいとしたら
岡山県アイダ楢原の神宿のトウナイの里山には 多分
【沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから
製鉄した】
---という 時代だと思う
その根についた 鉄分を低温度で 製鉄をして
馬に乗って示現した 神様に納めたのじゃないかな~ あくまで空想に過ぎないが
たくさんの歴史研究の方々の 書かれたものを 結び合わせていくと どうも そうなるか・・・
なので 最近 僕は 別けの犬じゃ~ って言うのもまんざらでもない
確定は出来ないが・・・
秦氏系の中国人 その中にはユダヤの血も混ざって 中国では 秦の始皇帝の 万里の長城8000kもの 土木工事にも使役されて その時代に どうも騎馬民族とも混ざって 渡来したかも 知れない
5555$銅相場が潮目に感じる・・仁徳天皇と黒姫美作出古事記よりトーナイ引用[東内社長BLOG]
投稿日時:2015/02/03(火) 07:05
銅5555$五ゾロ目が出ました 縁起が良い2/3朝
銅相場 午の歳、五月の頃、5日か15日、正午(お昼)の時刻、午(馬)に乗って 神が示現した その場所は
?トーナイの東内誠の生まれた家の岡山県アイダ郡ミマサカ町楢原上神宿748番地 五矛立ての家(中山太神宮)
仁徳天皇の 后のお1人 【黒姫様】は キビの国 ミマサカの出の人で 僕は 英田の 山のふもとの 吉井川を100mほど登ったところの 出自の女では ないかな~ と空想しているんじゃ
備前・ミマサカには 尾谷村 という所があって そこには 正一位と書いた赤い鳥居があるんじゃ 正一位なんて 勝手に書いている・・・
そこには 下山と言う家と とうない 唐内 という家がある 藤原氏も その後の時代かに京都から下向して住み着いている
黒姫は 勝田 というか 那岐山の西のほうに古墳があると言ってる人もいるが そこは この尾谷からは 10kmほども 川上になるが どちらか それは解からない
【黒媛は吉備の海部直の娘で、容姿端麗であったために都に召され、仁徳天皇の寵愛を受けながら、皇后の磐媛の嫉妬にあい故郷である山方(形)の地へ帰された。その黒媛を慕って仁徳天皇がわざわざ草深い山方(形)を訪れ逢瀬を重ねたという古代のロマンスが「古事記」に載っている】
とにかく 備前の港付近から 和気 英田 美作の山中から 仁徳天皇に愛された 黒姫が出たことは 間違いない と思う
古事記に出てくる 庶民のかまどから 夕方に煙が出ていないとして 年貢を数年間 無税にした という話しは 先日だったかの国会でも出てきていたが
古事記の 仁徳天皇のところ その前後に この黒姫との恋愛物語も出てくる
大阪の港の辺りの王宮から 黒姫を追って 仁徳天皇
は 瀬戸内へ船を出して たぶん 備前市のあたりから
黒姫の里を 吉井川を船にお乗りになって遡った
まあ とにかく 仁徳天皇の2号の地位になるんかな
その昔は 天皇様には嫁が何人も居たので・・・
三島鴨神社の関係で 仁徳テンオウと 秦氏とか 調べていくと 摂津の三島から 美作に たどり着くんだ
古代史に興味の無い人でも 古事記 って 聞いたことがあるやろ~
海部 の娘が キビのみまさかの黒姫じゃ・・・
海部というたら 海の民か 秦氏のことか?
まあ ええや ワシは555 が 縁起がエエと思ってる
銅相場の 潮目が変ってくるかも 知れないぞ
ワシの一族は 鉄 銅を追ったものでも あるが
祈り系の 一族でもあるので 潮目の 境目は 感じてくるんじゃ ?トーナイ 銅相場 金属を追う物 東内誠
五 午 馬 ごほこ立てを最低でも1300年維持管理の家の長兄
また仁徳天皇が 茨田堤 寝屋川 高槻市 枚方市 交野市辺りの 土手を造られた と 思う 三島じゃ 淀川堤造成 秦の民の土木の技術を要した
僕が現在 拠点にしている 大阪港は その時代は海の中だったんだ ほんまやで
大阪城のあたりは 小高い場所だったので 海ではない
ほんまやって・・・信じないか そうか
信じない者は 救われない・・・
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上記リンクは 僕の本職のスクラップ屋経営のHP 東内誠日々更新中
**古代史偏 東内誠 勉強中***
キビの国 鉄 古墳 水銀 金
弥生時代に瀬戸内沿いに 交易を目的に中国から人が渡ってきて住みつき 稗ヒエや栗 黍キビを食料にし 中国人は塩も造った
西暦300年代 瀬戸内の備前などでは
伽耶が北方騎馬民の南下で不穏になり、
更に韓半島『大陸』からの移住がつづいた。
この頃の製鉄は溶解温度の低い、
沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから製鉄した
鉄を求めた集団は 旭川 吉井川の周辺に移住し
(此の書いた人は新羅系だと書いている)。
西暦400年頃より 百済系伽耶人も移住してきて
此の人達は 沼鉄では なく沼鉄より高温で鉄鉱石を使って 製鉄をし
鉱石からの 製鉄を始めた その勢力を
東は 加古川周辺まで キビの勢力を広げた
西暦700年以降 吉備は鉄を納めることになったが だんだんと鉄鉱石が枯渇し その後
砂鉄から 鉄を造るようになった
鉄以外も 水銀の産地でもあり 金も採れた
『まがね吹く吉備の中山 帯にせる細谷川の音のさやけさ』
まがね吹くは 吉備の枕言葉
この歴史が正しいとしたら
岡山県アイダ楢原の神宿のトウナイの里山には 多分
【沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから
製鉄した】
---という 時代だと思う
その根についた 鉄分を低温度で 製鉄をして
馬に乗って示現した 神様に納めたのじゃないかな~ あくまで空想に過ぎないが
たくさんの歴史研究の方々の 書かれたものを 結び合わせていくと どうも そうなるか・・・
なので 最近 僕は 別けの犬じゃ~ って言うのもまんざらでもない
確定は出来ないが・・・
秦氏系の中国人 その中にはユダヤの血も混ざって 中国では 秦の始皇帝の 万里の長城8000kもの 土木工事にも使役されて その時代に どうも騎馬民族とも混ざって 渡来したかも 知れない
銅相場 午の歳、五月の頃、5日か15日、正午(お昼)の時刻、午(馬)に乗って 神が示現した その場所は
?トーナイの東内誠の生まれた家の岡山県アイダ郡ミマサカ町楢原上神宿748番地 五矛立ての家(中山太神宮)
仁徳天皇の 后のお1人 【黒姫様】は キビの国 ミマサカの出の人で 僕は 英田の 山のふもとの 吉井川を100mほど登ったところの 出自の女では ないかな~ と空想しているんじゃ
備前・ミマサカには 尾谷村 という所があって そこには 正一位と書いた赤い鳥居があるんじゃ 正一位なんて 勝手に書いている・・・
そこには 下山と言う家と とうない 唐内 という家がある 藤原氏も その後の時代かに京都から下向して住み着いている
黒姫は 勝田 というか 那岐山の西のほうに古墳があると言ってる人もいるが そこは この尾谷からは 10kmほども 川上になるが どちらか それは解からない
【黒媛は吉備の海部直の娘で、容姿端麗であったために都に召され、仁徳天皇の寵愛を受けながら、皇后の磐媛の嫉妬にあい故郷である山方(形)の地へ帰された。その黒媛を慕って仁徳天皇がわざわざ草深い山方(形)を訪れ逢瀬を重ねたという古代のロマンスが「古事記」に載っている】
とにかく 備前の港付近から 和気 英田 美作の山中から 仁徳天皇に愛された 黒姫が出たことは 間違いない と思う
古事記に出てくる 庶民のかまどから 夕方に煙が出ていないとして 年貢を数年間 無税にした という話しは 先日だったかの国会でも出てきていたが
古事記の 仁徳天皇のところ その前後に この黒姫との恋愛物語も出てくる
大阪の港の辺りの王宮から 黒姫を追って 仁徳天皇
は 瀬戸内へ船を出して たぶん 備前市のあたりから
黒姫の里を 吉井川を船にお乗りになって遡った
まあ とにかく 仁徳天皇の2号の地位になるんかな
その昔は 天皇様には嫁が何人も居たので・・・
三島鴨神社の関係で 仁徳テンオウと 秦氏とか 調べていくと 摂津の三島から 美作に たどり着くんだ
古代史に興味の無い人でも 古事記 って 聞いたことがあるやろ~
海部 の娘が キビのみまさかの黒姫じゃ・・・
海部というたら 海の民か 秦氏のことか?
まあ ええや ワシは555 が 縁起がエエと思ってる
銅相場の 潮目が変ってくるかも 知れないぞ
ワシの一族は 鉄 銅を追ったものでも あるが
祈り系の 一族でもあるので 潮目の 境目は 感じてくるんじゃ ?トーナイ 銅相場 金属を追う物 東内誠
五 午 馬 ごほこ立てを最低でも1300年維持管理の家の長兄
また仁徳天皇が 茨田堤 寝屋川 高槻市 枚方市 交野市辺りの 土手を造られた と 思う 三島じゃ 淀川堤造成 秦の民の土木の技術を要した
僕が現在 拠点にしている 大阪港は その時代は海の中だったんだ ほんまやで
大阪城のあたりは 小高い場所だったので 海ではない
ほんまやって・・・信じないか そうか
信じない者は 救われない・・・
http://www.tohnai.com/top_main.html
上記リンクは 僕の本職のスクラップ屋経営のHP 東内誠日々更新中
**古代史偏 東内誠 勉強中***
キビの国 鉄 古墳 水銀 金
弥生時代に瀬戸内沿いに 交易を目的に中国から人が渡ってきて住みつき 稗ヒエや栗 黍キビを食料にし 中国人は塩も造った
西暦300年代 瀬戸内の備前などでは
伽耶が北方騎馬民の南下で不穏になり、
更に韓半島『大陸』からの移住がつづいた。
この頃の製鉄は溶解温度の低い、
沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから製鉄した
鉄を求めた集団は 旭川 吉井川の周辺に移住し
(此の書いた人は新羅系だと書いている)。
西暦400年頃より 百済系伽耶人も移住してきて
此の人達は 沼鉄では なく沼鉄より高温で鉄鉱石を使って 製鉄をし
鉱石からの 製鉄を始めた その勢力を
東は 加古川周辺まで キビの勢力を広げた
西暦700年以降 吉備は鉄を納めることになったが だんだんと鉄鉱石が枯渇し その後
砂鉄から 鉄を造るようになった
鉄以外も 水銀の産地でもあり 金も採れた
『まがね吹く吉備の中山 帯にせる細谷川の音のさやけさ』
まがね吹くは 吉備の枕言葉
この歴史が正しいとしたら
岡山県アイダ楢原の神宿のトウナイの里山には 多分
【沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから
製鉄した】
---という 時代だと思う
その根についた 鉄分を低温度で 製鉄をして
馬に乗って示現した 神様に納めたのじゃないかな~ あくまで空想に過ぎないが
たくさんの歴史研究の方々の 書かれたものを 結び合わせていくと どうも そうなるか・・・
なので 最近 僕は 別けの犬じゃ~ って言うのもまんざらでもない
確定は出来ないが・・・
秦氏系の中国人 その中にはユダヤの血も混ざって 中国では 秦の始皇帝の 万里の長城8000kもの 土木工事にも使役されて その時代に どうも騎馬民族とも混ざって 渡来したかも 知れない
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