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ブログ 2015/2/6
神憑りで銅相場を占い必ず当てる大阪港トーナイ 吉備国出自若狭湾にも何か感じる*神宮にもご縁有[東内社長BLOG]
投稿日時:2015/02/06(金) 06:23
上海銅先物41850元 連日上がってきている これ って2日ほどは 出る目が変わってきた感じ・・・イイね
2日前と言うたら ワシが五の午の5の
ぞろ目は縁起がエエぞ~ って 言うた日や
それは潮の満ち干にも 関係するのんかも 知れないぞ~
***ココ以下の文章は 神懸った トーナイ東内誠の
超古代史の日記なので ヤマトトトソモモソ姫や吉備津日子も出てくる為 この先は商売関係の人は読まなくても良い***
そやねん 人間は というか 地球の生き物は宇宙からも パアーを頂戴しとるから そうなるんじゃ これってほんまやで
そや お日様もそうじゃし お月さんも それは関係するとも なんかな、ワシはそないに感じるんじゃ
ポカポカとお日様のありがたみを 感じ始める季節に入ってくると 本能的に 皆に期待感が出てくるもんじゃ・・・
なので 常に厳しい時も 夢を抱いて期待感も持っておらんと あかん 苦しい時に もうあかん と 考えた時に
は気分を変えるように踏ん張る
落ち込み過ぎると 段々と陰気になっていく傾向があるが まあ 陰気はいかんので 出来るだけ陽気な気分に持っていかんとな~
何時も ワシの先祖のことを書くのだが ワシの先祖は金属を追って 山川を駆け巡る先祖なんだが
祈り系の先祖でもあるんじゃ 祈り系やから 御神前も個人の家としては大きいのを持っているんだ それも超ふるいし そこで祝詞を日々 やっていたんだと思う
キビを征服した側の ご先祖なのか
征服された側のご先祖なのかも まだ ワシには解からないが
征服された側なら 生かせて戴くには それは時の権力者にも うまく 立ち回ったんだろうか
それは解らないが
キビは欠史 8代の王様というか そこらに深く関わっていることは 間違いないと思う
現在 卑弥呼のお墓とされる 箸墓はしはか古墳は
ヤマトトトモモソヒメ(倭迹迹日百襲媛) って女性だと考えられている この考えは関西の人はたいてい そう考えているんじゃ
勿論 卑弥呼は邪馬台国の女王であり シャーマンだったんだろう
ワシが日々 尊敬をし 拝んでおる神様も その弟だから
吉備津日子命 は その卑弥呼の 御兄弟やから
まあ こんなん あんまり書いていると キチガイと思う人も出てくるので 相場の話しに戻さねばならぬ が・・
昨日も 正午には 淀川の千数百年前に 仁徳天皇や唐の人々が作った 茨田堤の 淀川新橋を渡って
4?車に乗って モーターを3トンほど積んで 高槻市で集めたモノを 大阪港のワシの 保税蔵置場に運んでいって
中国から呼び寄せた
70mほどの 船に 明治時代からある 東洋埠頭さん(元々は お役所みたいな半官半民の港湾の会社)前に船を着け 船が安全航行で 出ていくのを見守った
安全運転で 無事に上海周辺の港に着岸できますようにと祈る
神社でも 交通安全のお守りなどあるやろ
特に 海を渡っていくのは 昔も今も危険やから
また 安倍総理のご先祖が 守った 山口県の関門海峡を抜けて 外洋に出て 中国大陸へと向うんじゃ
タブセ って場所は 関門よりも かなり東やけれどね
船の日は 朝に ワシは 海の交通安全も 神様に御願いするように してるんじゃ
そんで トーナイへ出入りするお客様や トーナイの職員も すべて トラックに乗っておるのでな 交通安全は大事な祈りの一つや
ご縁が深い人が 交通事故 海難事故にあっては ならんから
同じく 金属摩擦など スパークから 発火し 火災になることも 恐れて これも常に祈ってる神道トーナイ
これも 気にして三日前に トーナイ大阪港此花営業所は 放水訓練もさせた
100mの消防ホースを 何本も リサイクルセンターに 取り巻いているんや
ブロックの5mの塀に登って その上からも 消防ホースから 噴射可能にしている
祈るだけでは あかんのんや
防災計画も 現代風にも やっておらんと災難は いきなりに やってくるから
弥生時代でも 城の防備は考えたと思う
縄文時代でも 柵を作って 敵の侵入には備えた
池を作って 村の周りを 防備したんかも 知れないな
そや 海外から 渡来して この国に侵入してくる時には
まずは、先発部隊に 小高い丘に登らせて まずは 周囲に 敵が住んでいないか どうか 住んでいるならどんな連中で それらは どんな武器を持ってるか 凶暴な連中はおらんか など 調べる
日本海側だと ワシが住みたいと考えるのは 若狭湾やろな 天橋立がある その周辺やな~ あそこはエエぞ
そや そこに 元伊勢神宮 籠神社があるんや
あそこら周辺には なんか 勘が 働くな~
行くと お前 来たか って 半島の周辺で感じるわ
なんか あるな~
ほんで ある部隊は 西 南 方向に 進むんじゃ
丹波 但馬 播磨 というか 今の佐用郡の周辺や
その途中には 藤内山 が ある 高い山でな
この山は その古代に 神と神が 領土を巡って戦った場所だと思う そんで それぞれ 領地を分けた
その戦った 場所が 藤内や
兵庫県の佐用の東北辺りの 山や
これは 兵庫県の歴史のHPにも 出ていた
そんで その佐用の平福というところから美作平福へ
西へ 15-20kmほどで その隣村が 中山太・東内誠の 五矛祠や
ほんで 岡山県を斜めに歩ける道があるんじゃ
その道を歩けば 石上布津霊 物部氏が宮司の前を抜けていくと 吉備津周辺や
なんだったけ 中山 の古墳群があるところじゃな
このライン上が 実に神社などが かならずあって
グーグルの地図でも まっすぐの 直線を描けるんだ
なんやろな 昔の人も 測量ができたんか?
太陽や星を 見て 方向を確定したんか
解らんな~
まあ とにかく 良いことがあるように 災難に出くわさぬように 災難にあっても 軽傷ですむように 常に祈っておらんとあかん
祈る場合 清らかな心で 吉備の岩清水のように 清らかな心で祈らねばあかん
ウラの畑でポチがないて 宝がザックザックと出てきた爺さんと
それをみて 心根の腐った爺さんが 犬に 何処をほるんじゃ って 言って 掘ったらば ゴミや瀬戸物のかけらしか でてこん
清らかな心というのは 他人を貶めるようなことをしないと いうことじゃ
じゃあから 日ごろから行いにも気をつけて 正直な商売をしていかんと あかんぞ って 昔の人はそないに言い伝えておるんかいな~ そうやろう な~
千数百年もの長い時間 金属を追う物 トーナイ東内誠
神々も 申されておられる 金属の相場というのは
一定の 相場は維持されねば 世界の景気がおかしくもなる なので 今の 銅 鉄 相場は あまりにも まだまだ安いので 相場は改善されねば ならぬ
http://www.tohnai.com/top_main.html
上記リンクは 僕の本職のスクラップ屋経営のHP 東内誠日々更新中
**古代史偏 東内誠 勉強中***
キビの国 鉄 古墳 水銀 金
弥生時代に瀬戸内沿いに 交易を目的に中国から人が渡ってきて住みつき 稗ヒエや栗 黍キビを食料にし 中国人は塩も造った
西暦300年代 瀬戸内の備前などでは
伽耶が北方騎馬民の南下で不穏になり、
更に韓半島『大陸』からの移住がつづいた。
この頃の製鉄は溶解温度の低い、
沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから製鉄した
鉄を求めた集団は 旭川 吉井川の周辺に移住し
(此の書いた人は新羅系だと書いている)。
西暦400年頃より 百済系伽耶人も移住してきて
此の人達は 沼鉄では なく沼鉄より高温で鉄鉱石を使って 製鉄をし
鉱石からの 製鉄を始めた その勢力を
東は 加古川周辺まで キビの勢力を広げた
西暦700年以降 吉備は鉄を納めることになったが だんだんと鉄鉱石が枯渇し その後
砂鉄から 鉄を造るようになった
鉄以外も 水銀の産地でもあり 金も採れた
『まがね吹く吉備の中山 帯にせる細谷川の音のさやけさ』
まがね吹くは 吉備の枕言葉
この歴史が正しいとしたら
岡山県アイダ楢原の神宿のトウナイの里山には 多分
【沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから
製鉄した】
---という 時代だと思う
その根についた 鉄分を低温度で 製鉄をして
馬に乗って示現した 神様に納めたのじゃないかな~ あくまで空想に過ぎないが
たくさんの歴史研究の方々の 書かれたものを 結び合わせていくと どうも そうなるか・・・
なので 最近 僕は 別けの犬じゃ~ って言うのもまんざらでもない
確定は出来ないが・・・
秦氏系の中国人 その中にはユダヤの血も混ざって 中国では 秦の始皇帝の 万里の長城8000kもの 土木工事にも使役されて その時代に どうも騎馬民族とも混ざって 渡来したかも 知れない
多分 吉備津日子の関係の神が 歩いた道だと思うんじゃ ワシ
神というても 実は人間なんやけれどな
えらかった 人は死んだのちに 神になるから
2日前と言うたら ワシが五の午の5の
ぞろ目は縁起がエエぞ~ って 言うた日や
それは潮の満ち干にも 関係するのんかも 知れないぞ~
***ココ以下の文章は 神懸った トーナイ東内誠の
超古代史の日記なので ヤマトトトソモモソ姫や吉備津日子も出てくる為 この先は商売関係の人は読まなくても良い***
そやねん 人間は というか 地球の生き物は宇宙からも パアーを頂戴しとるから そうなるんじゃ これってほんまやで
そや お日様もそうじゃし お月さんも それは関係するとも なんかな、ワシはそないに感じるんじゃ
ポカポカとお日様のありがたみを 感じ始める季節に入ってくると 本能的に 皆に期待感が出てくるもんじゃ・・・
なので 常に厳しい時も 夢を抱いて期待感も持っておらんと あかん 苦しい時に もうあかん と 考えた時に
は気分を変えるように踏ん張る
落ち込み過ぎると 段々と陰気になっていく傾向があるが まあ 陰気はいかんので 出来るだけ陽気な気分に持っていかんとな~
何時も ワシの先祖のことを書くのだが ワシの先祖は金属を追って 山川を駆け巡る先祖なんだが
祈り系の先祖でもあるんじゃ 祈り系やから 御神前も個人の家としては大きいのを持っているんだ それも超ふるいし そこで祝詞を日々 やっていたんだと思う
キビを征服した側の ご先祖なのか
征服された側のご先祖なのかも まだ ワシには解からないが
征服された側なら 生かせて戴くには それは時の権力者にも うまく 立ち回ったんだろうか
それは解らないが
キビは欠史 8代の王様というか そこらに深く関わっていることは 間違いないと思う
現在 卑弥呼のお墓とされる 箸墓はしはか古墳は
ヤマトトトモモソヒメ(倭迹迹日百襲媛) って女性だと考えられている この考えは関西の人はたいてい そう考えているんじゃ
勿論 卑弥呼は邪馬台国の女王であり シャーマンだったんだろう
ワシが日々 尊敬をし 拝んでおる神様も その弟だから
吉備津日子命 は その卑弥呼の 御兄弟やから
まあ こんなん あんまり書いていると キチガイと思う人も出てくるので 相場の話しに戻さねばならぬ が・・
昨日も 正午には 淀川の千数百年前に 仁徳天皇や唐の人々が作った 茨田堤の 淀川新橋を渡って
4?車に乗って モーターを3トンほど積んで 高槻市で集めたモノを 大阪港のワシの 保税蔵置場に運んでいって
中国から呼び寄せた
70mほどの 船に 明治時代からある 東洋埠頭さん(元々は お役所みたいな半官半民の港湾の会社)前に船を着け 船が安全航行で 出ていくのを見守った
安全運転で 無事に上海周辺の港に着岸できますようにと祈る
神社でも 交通安全のお守りなどあるやろ
特に 海を渡っていくのは 昔も今も危険やから
また 安倍総理のご先祖が 守った 山口県の関門海峡を抜けて 外洋に出て 中国大陸へと向うんじゃ
タブセ って場所は 関門よりも かなり東やけれどね
船の日は 朝に ワシは 海の交通安全も 神様に御願いするように してるんじゃ
そんで トーナイへ出入りするお客様や トーナイの職員も すべて トラックに乗っておるのでな 交通安全は大事な祈りの一つや
ご縁が深い人が 交通事故 海難事故にあっては ならんから
同じく 金属摩擦など スパークから 発火し 火災になることも 恐れて これも常に祈ってる神道トーナイ
これも 気にして三日前に トーナイ大阪港此花営業所は 放水訓練もさせた
100mの消防ホースを 何本も リサイクルセンターに 取り巻いているんや
ブロックの5mの塀に登って その上からも 消防ホースから 噴射可能にしている
祈るだけでは あかんのんや
防災計画も 現代風にも やっておらんと災難は いきなりに やってくるから
弥生時代でも 城の防備は考えたと思う
縄文時代でも 柵を作って 敵の侵入には備えた
池を作って 村の周りを 防備したんかも 知れないな
そや 海外から 渡来して この国に侵入してくる時には
まずは、先発部隊に 小高い丘に登らせて まずは 周囲に 敵が住んでいないか どうか 住んでいるならどんな連中で それらは どんな武器を持ってるか 凶暴な連中はおらんか など 調べる
日本海側だと ワシが住みたいと考えるのは 若狭湾やろな 天橋立がある その周辺やな~ あそこはエエぞ
そや そこに 元伊勢神宮 籠神社があるんや
あそこら周辺には なんか 勘が 働くな~
行くと お前 来たか って 半島の周辺で感じるわ
なんか あるな~
ほんで ある部隊は 西 南 方向に 進むんじゃ
丹波 但馬 播磨 というか 今の佐用郡の周辺や
その途中には 藤内山 が ある 高い山でな
この山は その古代に 神と神が 領土を巡って戦った場所だと思う そんで それぞれ 領地を分けた
その戦った 場所が 藤内や
兵庫県の佐用の東北辺りの 山や
これは 兵庫県の歴史のHPにも 出ていた
そんで その佐用の平福というところから美作平福へ
西へ 15-20kmほどで その隣村が 中山太・東内誠の 五矛祠や
ほんで 岡山県を斜めに歩ける道があるんじゃ
その道を歩けば 石上布津霊 物部氏が宮司の前を抜けていくと 吉備津周辺や
なんだったけ 中山 の古墳群があるところじゃな
このライン上が 実に神社などが かならずあって
グーグルの地図でも まっすぐの 直線を描けるんだ
なんやろな 昔の人も 測量ができたんか?
太陽や星を 見て 方向を確定したんか
解らんな~
まあ とにかく 良いことがあるように 災難に出くわさぬように 災難にあっても 軽傷ですむように 常に祈っておらんとあかん
祈る場合 清らかな心で 吉備の岩清水のように 清らかな心で祈らねばあかん
ウラの畑でポチがないて 宝がザックザックと出てきた爺さんと
それをみて 心根の腐った爺さんが 犬に 何処をほるんじゃ って 言って 掘ったらば ゴミや瀬戸物のかけらしか でてこん
清らかな心というのは 他人を貶めるようなことをしないと いうことじゃ
じゃあから 日ごろから行いにも気をつけて 正直な商売をしていかんと あかんぞ って 昔の人はそないに言い伝えておるんかいな~ そうやろう な~
千数百年もの長い時間 金属を追う物 トーナイ東内誠
神々も 申されておられる 金属の相場というのは
一定の 相場は維持されねば 世界の景気がおかしくもなる なので 今の 銅 鉄 相場は あまりにも まだまだ安いので 相場は改善されねば ならぬ
http://www.tohnai.com/top_main.html
上記リンクは 僕の本職のスクラップ屋経営のHP 東内誠日々更新中
**古代史偏 東内誠 勉強中***
キビの国 鉄 古墳 水銀 金
弥生時代に瀬戸内沿いに 交易を目的に中国から人が渡ってきて住みつき 稗ヒエや栗 黍キビを食料にし 中国人は塩も造った
西暦300年代 瀬戸内の備前などでは
伽耶が北方騎馬民の南下で不穏になり、
更に韓半島『大陸』からの移住がつづいた。
この頃の製鉄は溶解温度の低い、
沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから製鉄した
鉄を求めた集団は 旭川 吉井川の周辺に移住し
(此の書いた人は新羅系だと書いている)。
西暦400年頃より 百済系伽耶人も移住してきて
此の人達は 沼鉄では なく沼鉄より高温で鉄鉱石を使って 製鉄をし
鉱石からの 製鉄を始めた その勢力を
東は 加古川周辺まで キビの勢力を広げた
西暦700年以降 吉備は鉄を納めることになったが だんだんと鉄鉱石が枯渇し その後
砂鉄から 鉄を造るようになった
鉄以外も 水銀の産地でもあり 金も採れた
『まがね吹く吉備の中山 帯にせる細谷川の音のさやけさ』
まがね吹くは 吉備の枕言葉
この歴史が正しいとしたら
岡山県アイダ楢原の神宿のトウナイの里山には 多分
【沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから
製鉄した】
---という 時代だと思う
その根についた 鉄分を低温度で 製鉄をして
馬に乗って示現した 神様に納めたのじゃないかな~ あくまで空想に過ぎないが
たくさんの歴史研究の方々の 書かれたものを 結び合わせていくと どうも そうなるか・・・
なので 最近 僕は 別けの犬じゃ~ って言うのもまんざらでもない
確定は出来ないが・・・
秦氏系の中国人 その中にはユダヤの血も混ざって 中国では 秦の始皇帝の 万里の長城8000kもの 土木工事にも使役されて その時代に どうも騎馬民族とも混ざって 渡来したかも 知れない
多分 吉備津日子の関係の神が 歩いた道だと思うんじゃ ワシ
神というても 実は人間なんやけれどな
えらかった 人は死んだのちに 神になるから
神憑りで銅相場を占い必ず当てる大阪港トーナイ 吉備国出自若狭湾にも何か感じる*神宮にもご縁有[GOO日々更新 東内誠 相場 歴史などのブログ]
投稿日時:2015/02/06(金) 06:23
上海銅先物41850元 連日上がってきている これ って2日ほどは 出る目が変わってきた感じ・・・イイね
2日前と言うたら ワシが五の午の5の
ぞろ目は縁起がエエぞ~ って 言うた日や
それは潮の満ち干にも 関係するのんかも 知れないぞ~
***ココ以下の文章は 神懸った トーナイ東内誠の
超古代史の日記なので ヤマトトトソモモソ姫や吉備津日子も出てくる為 この先は商売関係の人は読まなくても良い***
そやねん 人間は というか 地球の生き物は宇宙からも パアーを頂戴しとるから そうなるんじゃ これってほんまやで
そや お日様もそうじゃし お月さんも それは関係するとも なんかな、ワシはそないに感じるんじゃ
ポカポカとお日様のありがたみを 感じ始める季節に入ってくると 本能的に 皆に期待感が出てくるもんじゃ・・・
なので 常に厳しい時も 夢を抱いて期待感も持っておらんと あかん 苦しい時に もうあかん と 考えた時に
は気分を変えるように踏ん張る
落ち込み過ぎると 段々と陰気になっていく傾向があるが まあ 陰気はいかんので 出来るだけ陽気な気分に持っていかんとな~
何時も ワシの先祖のことを書くのだが ワシの先祖は金属を追って 山川を駆け巡る先祖なんだが
祈り系の先祖でもあるんじゃ 祈り系やから 御神前も個人の家としては大きいのを持っているんだ それも超ふるいし そこで祝詞を日々 やっていたんだと思う
キビを征服した側の ご先祖なのか
征服された側のご先祖なのかも まだ ワシには解からないが
征服された側なら 生かせて戴くには それは時の権力者にも うまく 立ち回ったんだろうか
それは解らないが
キビは欠史 8代の王様というか そこらに深く関わっていることは 間違いないと思う
現在 卑弥呼のお墓とされる 箸墓はしはか古墳は
ヤマトトトモモソヒメ(倭迹迹日百襲媛) って女性だと考えられている この考えは関西の人はたいてい そう考えているんじゃ
勿論 卑弥呼は邪馬台国の女王であり シャーマンだったんだろう
ワシが日々 尊敬をし 拝んでおる神様も その弟だから
吉備津日子命 は その卑弥呼の 御兄弟やから
まあ こんなん あんまり書いていると キチガイと思う人も出てくるので 相場の話しに戻さねばならぬ が・・
昨日も 正午には 淀川の千数百年前に 仁徳天皇や唐の人々が作った 茨田堤の 淀川新橋を渡って
4?車に乗って モーターを3トンほど積んで 高槻市で集めたモノを 大阪港のワシの 保税蔵置場に運んでいって
中国から呼び寄せた
70mほどの 船に 明治時代からある 東洋埠頭さん(元々は お役所みたいな半官半民の港湾の会社)前に船を着け 船が安全航行で 出ていくのを見守った
安全運転で 無事に上海周辺の港に着岸できますようにと祈る
神社でも 交通安全のお守りなどあるやろ
特に 海を渡っていくのは 昔も今も危険やから
また 安倍総理のご先祖が 守った 山口県の関門海峡を抜けて 外洋に出て 中国大陸へと向うんじゃ
タブセ って場所は 関門よりも かなり東やけれどね
船の日は 朝に ワシは 海の交通安全も 神様に御願いするように してるんじゃ
そんで トーナイへ出入りするお客様や トーナイの職員も すべて トラックに乗っておるのでな 交通安全は大事な祈りの一つや
ご縁が深い人が 交通事故 海難事故にあっては ならんから
同じく 金属摩擦など スパークから 発火し 火災になることも 恐れて これも常に祈ってる神道トーナイ
これも 気にして三日前に トーナイ大阪港此花営業所は 放水訓練もさせた
100mの消防ホースを 何本も リサイクルセンターに 取り巻いているんや
ブロックの5mの塀に登って その上からも 消防ホースから 噴射可能にしている
祈るだけでは あかんのんや
防災計画も 現代風にも やっておらんと災難は いきなりに やってくるから
弥生時代でも 城の防備は考えたと思う
縄文時代でも 柵を作って 敵の侵入には備えた
池を作って 村の周りを 防備したんかも 知れないな
そや 海外から 渡来して この国に侵入してくる時には
まずは、先発部隊に 小高い丘に登らせて まずは 周囲に 敵が住んでいないか どうか 住んでいるならどんな連中で それらは どんな武器を持ってるか 凶暴な連中はおらんか など 調べる
日本海側だと ワシが住みたいと考えるのは 若狭湾やろな 天橋立がある その周辺やな~ あそこはエエぞ
そや そこに 元伊勢神宮 籠神社があるんや
あそこら周辺には なんか 勘が 働くな~
行くと お前 来たか って 半島の周辺で感じるわ
なんか あるな~
ほんで ある部隊は 西 南 方向に 進むんじゃ
丹波 但馬 播磨 というか 今の佐用郡の周辺や
その途中には 藤内山 が ある 高い山でな
この山は その古代に 神と神が 領土を巡って戦った場所だと思う そんで それぞれ 領地を分けた
その戦った 場所が 藤内や
兵庫県の佐用の東北辺りの 山や
これは 兵庫県の歴史のHPにも 出ていた
そんで その佐用の平福というところから美作平福へ
西へ 15-20kmほどで その隣村が 中山太・東内誠の 五矛祠や
ほんで 岡山県を斜めに歩ける道があるんじゃ
その道を歩けば 石上布津霊 物部氏が宮司の前を抜けていくと 吉備津周辺や
なんだったけ 中山 の古墳群があるところじゃな
このライン上が 実に神社などが かならずあって
グーグルの地図でも まっすぐの 直線を描けるんだ
なんやろな 昔の人も 測量ができたんか?
太陽や星を 見て 方向を確定したんか
解らんな~
まあ とにかく 良いことがあるように 災難に出くわさぬように 災難にあっても 軽傷ですむように 常に祈っておらんとあかん
祈る場合 清らかな心で 吉備の岩清水のように 清らかな心で祈らねばあかん
ウラの畑でポチがないて 宝がザックザックと出てきた爺さんと
それをみて 心根の腐った爺さんが 犬に 何処をほるんじゃ って 言って 掘ったらば ゴミや瀬戸物のかけらしか でてこん
清らかな心というのは 他人を貶めるようなことをしないと いうことじゃ
じゃあから 日ごろから行いにも気をつけて 正直な商売をしていかんと あかんぞ って 昔の人はそないに言い伝えておるんかいな~ そうやろう な~
千数百年もの長い時間 金属を追う物 トーナイ東内誠
神々も 申されておられる 金属の相場というのは
一定の 相場は維持されねば 世界の景気がおかしくもなる なので 今の 銅 鉄 相場は あまりにも まだまだ安いので 相場は改善されねば ならぬ
http://www.tohnai.com/top_main.html
上記リンクは 僕の本職のスクラップ屋経営のHP 東内誠日々更新中
**古代史偏 東内誠 勉強中***
キビの国 鉄 古墳 水銀 金
弥生時代に瀬戸内沿いに 交易を目的に中国から人が渡ってきて住みつき 稗ヒエや栗 黍キビを食料にし 中国人は塩も造った
西暦300年代 瀬戸内の備前などでは
伽耶が北方騎馬民の南下で不穏になり、
更に韓半島『大陸』からの移住がつづいた。
この頃の製鉄は溶解温度の低い、
沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから製鉄した
鉄を求めた集団は 旭川 吉井川の周辺に移住し
(此の書いた人は新羅系だと書いている)。
西暦400年頃より 百済系伽耶人も移住してきて
此の人達は 沼鉄では なく沼鉄より高温で鉄鉱石を使って 製鉄をし
鉱石からの 製鉄を始めた その勢力を
東は 加古川周辺まで キビの勢力を広げた
西暦700年以降 吉備は鉄を納めることになったが だんだんと鉄鉱石が枯渇し その後
砂鉄から 鉄を造るようになった
鉄以外も 水銀の産地でもあり 金も採れた
『まがね吹く吉備の中山 帯にせる細谷川の音のさやけさ』
まがね吹くは 吉備の枕言葉
この歴史が正しいとしたら
岡山県アイダ楢原の神宿のトウナイの里山には 多分
【沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから
製鉄した】
---という 時代だと思う
その根についた 鉄分を低温度で 製鉄をして
馬に乗って示現した 神様に納めたのじゃないかな~ あくまで空想に過ぎないが
たくさんの歴史研究の方々の 書かれたものを 結び合わせていくと どうも そうなるか・・・
なので 最近 僕は 別けの犬じゃ~ って言うのもまんざらでもない
確定は出来ないが・・・
秦氏系の中国人 その中にはユダヤの血も混ざって 中国では 秦の始皇帝の 万里の長城8000kもの 土木工事にも使役されて その時代に どうも騎馬民族とも混ざって 渡来したかも 知れない
多分 吉備津日子の関係の神が 歩いた道だと思うんじゃ ワシ
神というても 実は人間なんやけれどな
えらかった 人は死んだのちに 神になるから
2日前と言うたら ワシが五の午の5の
ぞろ目は縁起がエエぞ~ って 言うた日や
それは潮の満ち干にも 関係するのんかも 知れないぞ~
***ココ以下の文章は 神懸った トーナイ東内誠の
超古代史の日記なので ヤマトトトソモモソ姫や吉備津日子も出てくる為 この先は商売関係の人は読まなくても良い***
そやねん 人間は というか 地球の生き物は宇宙からも パアーを頂戴しとるから そうなるんじゃ これってほんまやで
そや お日様もそうじゃし お月さんも それは関係するとも なんかな、ワシはそないに感じるんじゃ
ポカポカとお日様のありがたみを 感じ始める季節に入ってくると 本能的に 皆に期待感が出てくるもんじゃ・・・
なので 常に厳しい時も 夢を抱いて期待感も持っておらんと あかん 苦しい時に もうあかん と 考えた時に
は気分を変えるように踏ん張る
落ち込み過ぎると 段々と陰気になっていく傾向があるが まあ 陰気はいかんので 出来るだけ陽気な気分に持っていかんとな~
何時も ワシの先祖のことを書くのだが ワシの先祖は金属を追って 山川を駆け巡る先祖なんだが
祈り系の先祖でもあるんじゃ 祈り系やから 御神前も個人の家としては大きいのを持っているんだ それも超ふるいし そこで祝詞を日々 やっていたんだと思う
キビを征服した側の ご先祖なのか
征服された側のご先祖なのかも まだ ワシには解からないが
征服された側なら 生かせて戴くには それは時の権力者にも うまく 立ち回ったんだろうか
それは解らないが
キビは欠史 8代の王様というか そこらに深く関わっていることは 間違いないと思う
現在 卑弥呼のお墓とされる 箸墓はしはか古墳は
ヤマトトトモモソヒメ(倭迹迹日百襲媛) って女性だと考えられている この考えは関西の人はたいてい そう考えているんじゃ
勿論 卑弥呼は邪馬台国の女王であり シャーマンだったんだろう
ワシが日々 尊敬をし 拝んでおる神様も その弟だから
吉備津日子命 は その卑弥呼の 御兄弟やから
まあ こんなん あんまり書いていると キチガイと思う人も出てくるので 相場の話しに戻さねばならぬ が・・
昨日も 正午には 淀川の千数百年前に 仁徳天皇や唐の人々が作った 茨田堤の 淀川新橋を渡って
4?車に乗って モーターを3トンほど積んで 高槻市で集めたモノを 大阪港のワシの 保税蔵置場に運んでいって
中国から呼び寄せた
70mほどの 船に 明治時代からある 東洋埠頭さん(元々は お役所みたいな半官半民の港湾の会社)前に船を着け 船が安全航行で 出ていくのを見守った
安全運転で 無事に上海周辺の港に着岸できますようにと祈る
神社でも 交通安全のお守りなどあるやろ
特に 海を渡っていくのは 昔も今も危険やから
また 安倍総理のご先祖が 守った 山口県の関門海峡を抜けて 外洋に出て 中国大陸へと向うんじゃ
タブセ って場所は 関門よりも かなり東やけれどね
船の日は 朝に ワシは 海の交通安全も 神様に御願いするように してるんじゃ
そんで トーナイへ出入りするお客様や トーナイの職員も すべて トラックに乗っておるのでな 交通安全は大事な祈りの一つや
ご縁が深い人が 交通事故 海難事故にあっては ならんから
同じく 金属摩擦など スパークから 発火し 火災になることも 恐れて これも常に祈ってる神道トーナイ
これも 気にして三日前に トーナイ大阪港此花営業所は 放水訓練もさせた
100mの消防ホースを 何本も リサイクルセンターに 取り巻いているんや
ブロックの5mの塀に登って その上からも 消防ホースから 噴射可能にしている
祈るだけでは あかんのんや
防災計画も 現代風にも やっておらんと災難は いきなりに やってくるから
弥生時代でも 城の防備は考えたと思う
縄文時代でも 柵を作って 敵の侵入には備えた
池を作って 村の周りを 防備したんかも 知れないな
そや 海外から 渡来して この国に侵入してくる時には
まずは、先発部隊に 小高い丘に登らせて まずは 周囲に 敵が住んでいないか どうか 住んでいるならどんな連中で それらは どんな武器を持ってるか 凶暴な連中はおらんか など 調べる
日本海側だと ワシが住みたいと考えるのは 若狭湾やろな 天橋立がある その周辺やな~ あそこはエエぞ
そや そこに 元伊勢神宮 籠神社があるんや
あそこら周辺には なんか 勘が 働くな~
行くと お前 来たか って 半島の周辺で感じるわ
なんか あるな~
ほんで ある部隊は 西 南 方向に 進むんじゃ
丹波 但馬 播磨 というか 今の佐用郡の周辺や
その途中には 藤内山 が ある 高い山でな
この山は その古代に 神と神が 領土を巡って戦った場所だと思う そんで それぞれ 領地を分けた
その戦った 場所が 藤内や
兵庫県の佐用の東北辺りの 山や
これは 兵庫県の歴史のHPにも 出ていた
そんで その佐用の平福というところから美作平福へ
西へ 15-20kmほどで その隣村が 中山太・東内誠の 五矛祠や
ほんで 岡山県を斜めに歩ける道があるんじゃ
その道を歩けば 石上布津霊 物部氏が宮司の前を抜けていくと 吉備津周辺や
なんだったけ 中山 の古墳群があるところじゃな
このライン上が 実に神社などが かならずあって
グーグルの地図でも まっすぐの 直線を描けるんだ
なんやろな 昔の人も 測量ができたんか?
太陽や星を 見て 方向を確定したんか
解らんな~
まあ とにかく 良いことがあるように 災難に出くわさぬように 災難にあっても 軽傷ですむように 常に祈っておらんとあかん
祈る場合 清らかな心で 吉備の岩清水のように 清らかな心で祈らねばあかん
ウラの畑でポチがないて 宝がザックザックと出てきた爺さんと
それをみて 心根の腐った爺さんが 犬に 何処をほるんじゃ って 言って 掘ったらば ゴミや瀬戸物のかけらしか でてこん
清らかな心というのは 他人を貶めるようなことをしないと いうことじゃ
じゃあから 日ごろから行いにも気をつけて 正直な商売をしていかんと あかんぞ って 昔の人はそないに言い伝えておるんかいな~ そうやろう な~
千数百年もの長い時間 金属を追う物 トーナイ東内誠
神々も 申されておられる 金属の相場というのは
一定の 相場は維持されねば 世界の景気がおかしくもなる なので 今の 銅 鉄 相場は あまりにも まだまだ安いので 相場は改善されねば ならぬ
http://www.tohnai.com/top_main.html
上記リンクは 僕の本職のスクラップ屋経営のHP 東内誠日々更新中
**古代史偏 東内誠 勉強中***
キビの国 鉄 古墳 水銀 金
弥生時代に瀬戸内沿いに 交易を目的に中国から人が渡ってきて住みつき 稗ヒエや栗 黍キビを食料にし 中国人は塩も造った
西暦300年代 瀬戸内の備前などでは
伽耶が北方騎馬民の南下で不穏になり、
更に韓半島『大陸』からの移住がつづいた。
この頃の製鉄は溶解温度の低い、
沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから製鉄した
鉄を求めた集団は 旭川 吉井川の周辺に移住し
(此の書いた人は新羅系だと書いている)。
西暦400年頃より 百済系伽耶人も移住してきて
此の人達は 沼鉄では なく沼鉄より高温で鉄鉱石を使って 製鉄をし
鉱石からの 製鉄を始めた その勢力を
東は 加古川周辺まで キビの勢力を広げた
西暦700年以降 吉備は鉄を納めることになったが だんだんと鉄鉱石が枯渇し その後
砂鉄から 鉄を造るようになった
鉄以外も 水銀の産地でもあり 金も採れた
『まがね吹く吉備の中山 帯にせる細谷川の音のさやけさ』
まがね吹くは 吉備の枕言葉
この歴史が正しいとしたら
岡山県アイダ楢原の神宿のトウナイの里山には 多分
【沼鉄(褐鉄鉱)で
禾本科植物の黍や葦の根に集まる鉄イオンから
製鉄した】
---という 時代だと思う
その根についた 鉄分を低温度で 製鉄をして
馬に乗って示現した 神様に納めたのじゃないかな~ あくまで空想に過ぎないが
たくさんの歴史研究の方々の 書かれたものを 結び合わせていくと どうも そうなるか・・・
なので 最近 僕は 別けの犬じゃ~ って言うのもまんざらでもない
確定は出来ないが・・・
秦氏系の中国人 その中にはユダヤの血も混ざって 中国では 秦の始皇帝の 万里の長城8000kもの 土木工事にも使役されて その時代に どうも騎馬民族とも混ざって 渡来したかも 知れない
多分 吉備津日子の関係の神が 歩いた道だと思うんじゃ ワシ
神というても 実は人間なんやけれどな
えらかった 人は死んだのちに 神になるから
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